(昨日の記事の続きです)
1970年代には、これら”遊び着”はフレアやベルボトムのシルエットが流行となりました。同時に、伝統的にデニムが使用されてきた製品に新しい生地が使われる様になりました。Levi Strauss & Co.の製品ラインにおいてもそれは例外ではありませんでした。”ブルー・リーバイス”は会社の商品群において主力製品でしたが、販売カタログをちらっと見ると、格子柄、ポリエステル(棍)、シワにならないフレア、そしてマッチしたベストをお客さんが欲しがっていたのが分かります。日常着の素材としてのシンプルな棉のデニムの終焉となる様に見えました。しかし、それはデニムの世界中で支配的な存在となる勢いが一時的に停止しただけでした。よく見てみると、デニムは消滅することは決してありませんでした。
これら他の生地に人気が集まってデニムが横に追いやられていた1970年代においても、作家、製造業者、マーケティング・エグゼクティブは世間の目にデニムがさらされているように努めていました。American Fabrics1970年秋号の中で記者は、『インディゴ・ブルー・デニムは.....現世において事例のない程の現象となっています。我が国、そして多くの他の国々の若者達にとって、インディゴブルーデニムは単なる日用雑貨ではありません。それは、パンツのファッション生地の世界のトップです。』と書いています。1970年代の中頃から後半にはダブルニットや似た他の素材の大流行の勢いが弱まってきます。同時期に、多くのデニムを着たモデル達が紙面やテレビの広告に登場する様になり、さまざまな商取引雑誌(ビジネス雑誌等)の市場調査結果はデニム人気の高まりを表していました。
1970年代の後半に服の流行を追いかけていた人の発言がコメントと一緒に商取引新聞(ビジネス新聞)に次の様に掲載されています。『ジーンズは単なる製品ではありません。それは、衣類とライフスタイル(生き方)についての考え方を示すものです。』この考え方は、”飾り付けデニム”の大流行に明確に現れています。ビーズ、刺繍、ペイント、そして飾りの付けられたジーンズが、カリフォルニアからニューヨーク、そして海外の街頭で見られました。
自分だけのジーンズにする事は、アメリカで大流行となったため、Levis Strauss & Co.は、1973年に行われた"Denim Art Contest (デニム・アート・コンテスト)"のスポンサーとなり、お客から彼らの飾り付けデニムの写真を募集しました。49の州、そしてカナダとバハマから2000に渡る応募がありました。審査委員は、写真家のImogen Cunningham、デザイナーのRudi Gernreich、San Francisco Chronicle新聞の芸術評論員、サンフランシスコのDe Young博物館のキュレーター(博物館の展示品等を選定したり、管理する仕事)達でした。入賞品は、18ヶ月のアメリカの博物館ツアーに送られ、その内のいくつかはリーバイス社が買い取り保存管理する事にしました。
博物館ツアー帯同用に発行されたカタログの冒頭の紹介に、コンテスト・コーディネータ達は、リーバイス・ジーンズは”自己主張のキャンバス”となったと書いてあります。
(注:添付写真は、リーバイスのドキュメンタリー番組で紹介されたもので、恐らくコンテストに入賞し、リーバイスが購入したものだと思います。)
自己主張は1980年代では別の媒体、その時代は”デザイナー・ジーンズ”の流行によって見られます。どの様な形式を試みても、良い生地を排除することはできません。デニムが体になじんで行く事、ジーンズが、かつては完全に禁じられていた様な所(例えば高級レストラン)を含めて今ではほとんど全ての場所で穿かれている事を、我々は覚えています。1969年に、American Fabricsの記者がこのトレンドを予測し、次の様に述べました。『その前の年代(50年代)にデニムに起こったことは、カプセルとなり、その時にアメリカで起きた事が詰められています。そして趣のはしごを上ってきています。』
今日、リーバイス社の社員はリーバイス・ジーンズを穿いて仕事をしています。過去を振り返ると、リーバイス・ジーンズを穿いて仕事をしていた一番初めの人たちは、つるはしやシャベルを持っていました。我々の道具は、コンピューター・キーボード、PDA、そして携帯電話ですが、我々は毎日の仕事日に同じものを身につけて働いています。それはデニムジーンズです。
ヨーロッパで生まれ、デニムの機能性と対応性は、ジーンズの発明により過渡期のアメリカと言う、完璧な居場所を見つけました。そして、今、デニムは私たち生活を快適に過ごしやすくさせてくれています。そして、それを身につける時、ちょっと過去の事を教えて(与えて)くれます。
(終わり)
この記事はリーバイス社のホームページに掲載されているヒストリアンのLynn Downeyさんが書いた"A SHORT HISOTRY OF DENIM"を訳したものです。本ブログ記事は、写真や部分的に注釈を一部追加しています。
翻訳は、英語特有の表記、言い回しについては直訳でなく、より自然な慣用的な日本語表現にしている箇所があります。内容的には、原文に極力忠実に訳すように心がけましたが、表現・解釈の仕方によって受け取る印象が変わる場合もあるかと思います。その旨ご了承ください。
本記事は6つに分かれています。ご興味をお持ちの方は、一番最初の記事(こちら)から読んでいただく事をお勧めいたします。
もしよろしければ、本特集記事を読んだご感想をお知らせ下さい。コメント大歓迎です!メールでも結構です。お待ちしております!!
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1970年代には、これら”遊び着”はフレアやベルボトムのシルエットが流行となりました。同時に、伝統的にデニムが使用されてきた製品に新しい生地が使われる様になりました。Levi Strauss & Co.の製品ラインにおいてもそれは例外ではありませんでした。”ブルー・リーバイス”は会社の商品群において主力製品でしたが、販売カタログをちらっと見ると、格子柄、ポリエステル(棍)、シワにならないフレア、そしてマッチしたベストをお客さんが欲しがっていたのが分かります。日常着の素材としてのシンプルな棉のデニムの終焉となる様に見えました。しかし、それはデニムの世界中で支配的な存在となる勢いが一時的に停止しただけでした。よく見てみると、デニムは消滅することは決してありませんでした。
これら他の生地に人気が集まってデニムが横に追いやられていた1970年代においても、作家、製造業者、マーケティング・エグゼクティブは世間の目にデニムがさらされているように努めていました。American Fabrics1970年秋号の中で記者は、『インディゴ・ブルー・デニムは.....現世において事例のない程の現象となっています。我が国、そして多くの他の国々の若者達にとって、インディゴブルーデニムは単なる日用雑貨ではありません。それは、パンツのファッション生地の世界のトップです。』と書いています。1970年代の中頃から後半にはダブルニットや似た他の素材の大流行の勢いが弱まってきます。同時期に、多くのデニムを着たモデル達が紙面やテレビの広告に登場する様になり、さまざまな商取引雑誌(ビジネス雑誌等)の市場調査結果はデニム人気の高まりを表していました。

自分だけのジーンズにする事は、アメリカで大流行となったため、Levis Strauss & Co.は、1973年に行われた"Denim Art Contest (デニム・アート・コンテスト)"のスポンサーとなり、お客から彼らの飾り付けデニムの写真を募集しました。49の州、そしてカナダとバハマから2000に渡る応募がありました。審査委員は、写真家のImogen Cunningham、デザイナーのRudi Gernreich、San Francisco Chronicle新聞の芸術評論員、サンフランシスコのDe Young博物館のキュレーター(博物館の展示品等を選定したり、管理する仕事)達でした。入賞品は、18ヶ月のアメリカの博物館ツアーに送られ、その内のいくつかはリーバイス社が買い取り保存管理する事にしました。
博物館ツアー帯同用に発行されたカタログの冒頭の紹介に、コンテスト・コーディネータ達は、リーバイス・ジーンズは”自己主張のキャンバス”となったと書いてあります。
(注:添付写真は、リーバイスのドキュメンタリー番組で紹介されたもので、恐らくコンテストに入賞し、リーバイスが購入したものだと思います。)
自己主張は1980年代では別の媒体、その時代は”デザイナー・ジーンズ”の流行によって見られます。どの様な形式を試みても、良い生地を排除することはできません。デニムが体になじんで行く事、ジーンズが、かつては完全に禁じられていた様な所(例えば高級レストラン)を含めて今ではほとんど全ての場所で穿かれている事を、我々は覚えています。1969年に、American Fabricsの記者がこのトレンドを予測し、次の様に述べました。『その前の年代(50年代)にデニムに起こったことは、カプセルとなり、その時にアメリカで起きた事が詰められています。そして趣のはしごを上ってきています。』
今日、リーバイス社の社員はリーバイス・ジーンズを穿いて仕事をしています。過去を振り返ると、リーバイス・ジーンズを穿いて仕事をしていた一番初めの人たちは、つるはしやシャベルを持っていました。我々の道具は、コンピューター・キーボード、PDA、そして携帯電話ですが、我々は毎日の仕事日に同じものを身につけて働いています。それはデニムジーンズです。
ヨーロッパで生まれ、デニムの機能性と対応性は、ジーンズの発明により過渡期のアメリカと言う、完璧な居場所を見つけました。そして、今、デニムは私たち生活を快適に過ごしやすくさせてくれています。そして、それを身につける時、ちょっと過去の事を教えて(与えて)くれます。
(終わり)
この記事はリーバイス社のホームページに掲載されているヒストリアンのLynn Downeyさんが書いた"A SHORT HISOTRY OF DENIM"を訳したものです。本ブログ記事は、写真や部分的に注釈を一部追加しています。
翻訳は、英語特有の表記、言い回しについては直訳でなく、より自然な慣用的な日本語表現にしている箇所があります。内容的には、原文に極力忠実に訳すように心がけましたが、表現・解釈の仕方によって受け取る印象が変わる場合もあるかと思います。その旨ご了承ください。
本記事は6つに分かれています。ご興味をお持ちの方は、一番最初の記事(こちら)から読んでいただく事をお勧めいたします。
もしよろしければ、本特集記事を読んだご感想をお知らせ下さい。コメント大歓迎です!メールでも結構です。お待ちしております!!
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