リーバイスとLeeについての話をしばらくしたので、今回はラングラーの歴史について、米ラングラーのホームページの説明を元にラングラーの歴史、主だった出来事について紹介します。
ラングラーは1947年からブルーベルがジーンズの製品ラインに使用したブランド名です。会社名ではありません。
リーバイスやLeeは社名(リーバイスは正確にはリーバイ・ストラウス& Co.が社名)であり、製品メーカーのブランド名としても使われ、一般的にも広く認知されています。一方、ラングラーは社名ではなく、ブランドのみの名前です。
ラングラーは元々は、ワークウェア衣料メーカーのケーシージョーンズ社の一部製品のブランド名として使われていました。その時のラングラーのブランド名の製品はジーンズではなく、また、ケーシー・ジョーンズは、ラングラーの名前をあまり使用していませんでした。
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(コメント)
当時のコーンミルズは、凄い勢いで成長して行ったと思います。後のラングラー創業者の若きハドソン氏は、コーンミルズのデニム事業の急成長を目の当たりにしていたと思われます。不思議な縁とも言えます。
(コメント終わり)
1904年: ハドソンの職場は閉鎖されます。彼と何人かの同僚は、何台かのミシンを購入します。ハドソンと彼の兄妹のホーマーは、ハドソン・オーバーオール社を立ち上げます。
1919年: ハドソン・オーバーオールズの売り上げが急速に伸びます。会社は、本社拡張のため引っ越し、社名を”ブルーベル・オーバーオール・カンパニー”に変更します。
1926年: ケンタッキーのビッグベン・マニュファクチャリング(Big Ben Manufacturing)は、ブルーベルを58万5千ドルで買収します。合併した会社の名前はブルーベルのままとなり、本社もグリーンズブロのままでした。
(コメント) 買収されたにもかかわらず、社名と本社はそのままと言う非常に珍しいパターンだと思います。コーンミルズのデニム工場の所在する街に本社がある方が事業的にも色々メリットがあったと判断したためかもしれません。
1936年: ブルーベルは、100% 防縮生地のスーパービッグベン・オーバーオールを発表します。サンフォライズ加工された生地は、縮みは1%未満で、新しい業界のスタンダードとなりました。
1943年: ブルーベルは、ワークウェアの製造を行うCasey Jones Company(ケーシー・ジョーンズ社)を買収します。買収により、ケーシージョーンズのほとんど使っていなかったブランド名"Wrangler"を使用する権利を獲得します。
(コメント)買収先のブランド名や特許、製造技術等を買収によって獲得する手法は比較的、一般的です。当時、ブルーベルがラングラーのブランド名にどれだけ興味があったのかは不明ですが、結果的にはケーシージョーンズの買収は今日のジーンズブランドとしてのラングラーを生み出す大きな出来事となりました。(おそらく買収時は、ほとんど気にしていなかったと思います)
1947年: 著名なテイラーであるロデオベンのデザインによるラングラー・オーセンティック・ウエスタンジーンズが発表されます。プロロデオ・カウボーイのジム・ショルダーズ、ビル・リンドマン、フレックルス・ブラウンは13MWZを着用テストし、ラングラーは耐久性、品質、本物であることを承認しました。(請負保証しました)
(コメント)ご存知の方も多いかと思いますが、最初期のラングラーのジーンズはアーキュエット・ステッチに酷似したバックポケットのステッチをしています。1943年にリーバイスのアーキュエットステッチの商標登録が認可されます。
当時、Leeもアーキュエットに近いステッチを採用していました。リーバイスの商標登録取得により、1944年にバックポケットのステッチを変更します。それによりLazy Sが生まれました。
(コメント終わり)
1948年: カウボーイの世界チャンピオンのジム・ショルダーズがラングラーの公式な後援者として、契約を結びます。ジムショルダーズは計16回世界チャンピオンとなりました。
1962年: ブルーベルは、ベルギーに工場を立ち上げます。そして、ヨーロッパでラングラーブランドの立ち上げに成功します。
(コメント)ヨーロッパへの本格進出は、リーバイスよりも先であったことが分かります。
1974年: プロロデオ・カウボーイズ協会は、ラングラージーンズを公式に承認、後押しします。
1986年: ブルーベルは、VF Corporationと合併します。これにより、VFは60億ドルの市場の25%を占めるジーンズの世界の2大メーカーの一つとなります。
(コメント:販売数でのシェアでラングラーは20%獲得した事になります。これはかなり大きいシェアだと思います。)
1997年: プロロデオ・カウボーイ協会公式ジーンズである13MWZは、50才の誕生日を迎えます。ラングラースピリットは事業開始100年周年となります。
(コメント)13MWZの前に11MWZがあるはずなのですが、ラングラーのサイトでは最初から13MWZとの書き方をしています。写真のフラッシャーは当時のものと思われます。
Wikipediaによると、1952年に生地が13オンスデニムに変更になり、それに基づいて、ロット番号も11MWZから13MWZに変更になったと書かれています。
後で、何か分かりましたら、追記します。
2007年: ラングラーの後援者である(ロデオのベーブルースとして知られていた)ジムショルダーズが他界します。彼の死去により、58年間のブランドのパートナーシップは終わりとなりました。プロスポーツの歴史の中で、最も長いスポーツライセンス支援の記録です。
関連記事: ラングラーの市場での成功においてジムショルダーズの果たした功績、貢献は多大な物があります。
[ジム・ショルダーズとラングラー ##link##]
ラングラーは1947年からブルーベルがジーンズの製品ラインに使用したブランド名です。会社名ではありません。
リーバイスやLeeは社名(リーバイスは正確にはリーバイ・ストラウス& Co.が社名)であり、製品メーカーのブランド名としても使われ、一般的にも広く認知されています。一方、ラングラーは社名ではなく、ブランドのみの名前です。
ラングラーは元々は、ワークウェア衣料メーカーのケーシージョーンズ社の一部製品のブランド名として使われていました。その時のラングラーのブランド名の製品はジーンズではなく、また、ケーシー・ジョーンズは、ラングラーの名前をあまり使用していませんでした。
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ラングラーの歴史
今日市場で認知されているデニムブランドのラングラーは、ブルーベル社が立ち上げました。ラングラーのホームページに記載されているラングラーの歴史は、ブルーベル社の歴史から始まります。
1897年: 20才のC.C. Hudsonは、テネシー州にあるスプリング・ヒル農場を去り、生地業で急成長する街、ノースカロライナ州グリーンズブロにビジネスの機会を求めて、引っ越します。彼は、ボタンの縫い付けを行う工場の一日25セントの仕事を見つけます。
- [message]
- ##hand-o-right## 備考
- ハドソンが引っ越したノースカロライナのグリーンズブロは、1895年にコーンミルズが最初のデニム製造工場を建設した街です。
(コメント)
当時のコーンミルズは、凄い勢いで成長して行ったと思います。後のラングラー創業者の若きハドソン氏は、コーンミルズのデニム事業の急成長を目の当たりにしていたと思われます。不思議な縁とも言えます。
(コメント終わり)
1904年: ハドソンの職場は閉鎖されます。彼と何人かの同僚は、何台かのミシンを購入します。ハドソンと彼の兄妹のホーマーは、ハドソン・オーバーオール社を立ち上げます。
1919年: ハドソン・オーバーオールズの売り上げが急速に伸びます。会社は、本社拡張のため引っ越し、社名を”ブルーベル・オーバーオール・カンパニー”に変更します。
1926年: ケンタッキーのビッグベン・マニュファクチャリング(Big Ben Manufacturing)は、ブルーベルを58万5千ドルで買収します。合併した会社の名前はブルーベルのままとなり、本社もグリーンズブロのままでした。
(コメント) 買収されたにもかかわらず、社名と本社はそのままと言う非常に珍しいパターンだと思います。コーンミルズのデニム工場の所在する街に本社がある方が事業的にも色々メリットがあったと判断したためかもしれません。
1936年: ブルーベルは、100% 防縮生地のスーパービッグベン・オーバーオールを発表します。サンフォライズ加工された生地は、縮みは1%未満で、新しい業界のスタンダードとなりました。
1943年: ブルーベルは、ワークウェアの製造を行うCasey Jones Company(ケーシー・ジョーンズ社)を買収します。買収により、ケーシージョーンズのほとんど使っていなかったブランド名"Wrangler"を使用する権利を獲得します。
(コメント)買収先のブランド名や特許、製造技術等を買収によって獲得する手法は比較的、一般的です。当時、ブルーベルがラングラーのブランド名にどれだけ興味があったのかは不明ですが、結果的にはケーシージョーンズの買収は今日のジーンズブランドとしてのラングラーを生み出す大きな出来事となりました。(おそらく買収時は、ほとんど気にしていなかったと思います)
1947年: 著名なテイラーであるロデオベンのデザインによるラングラー・オーセンティック・ウエスタンジーンズが発表されます。プロロデオ・カウボーイのジム・ショルダーズ、ビル・リンドマン、フレックルス・ブラウンは13MWZを着用テストし、ラングラーは耐久性、品質、本物であることを承認しました。(請負保証しました)
(コメント)ご存知の方も多いかと思いますが、最初期のラングラーのジーンズはアーキュエット・ステッチに酷似したバックポケットのステッチをしています。1943年にリーバイスのアーキュエットステッチの商標登録が認可されます。
当時、Leeもアーキュエットに近いステッチを採用していました。リーバイスの商標登録取得により、1944年にバックポケットのステッチを変更します。それによりLazy Sが生まれました。
(コメント終わり)
1948年: カウボーイの世界チャンピオンのジム・ショルダーズがラングラーの公式な後援者として、契約を結びます。ジムショルダーズは計16回世界チャンピオンとなりました。
1962年: ブルーベルは、ベルギーに工場を立ち上げます。そして、ヨーロッパでラングラーブランドの立ち上げに成功します。
(コメント)ヨーロッパへの本格進出は、リーバイスよりも先であったことが分かります。
1974年: プロロデオ・カウボーイズ協会は、ラングラージーンズを公式に承認、後押しします。
1986年: ブルーベルは、VF Corporationと合併します。これにより、VFは60億ドルの市場の25%を占めるジーンズの世界の2大メーカーの一つとなります。
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- ##hand-o-right## 備考
- この時既に、VFはLeeを買収しており、ラングラーの買収により、会社としてはリーバイスと並ぶ2大ジーンズメーカーとなります。VFのLeeの買収は1969年です。
(コメント:販売数でのシェアでラングラーは20%獲得した事になります。これはかなり大きいシェアだと思います。)
1997年: プロロデオ・カウボーイ協会公式ジーンズである13MWZは、50才の誕生日を迎えます。ラングラースピリットは事業開始100年周年となります。
(コメント)13MWZの前に11MWZがあるはずなのですが、ラングラーのサイトでは最初から13MWZとの書き方をしています。写真のフラッシャーは当時のものと思われます。
Wikipediaによると、1952年に生地が13オンスデニムに変更になり、それに基づいて、ロット番号も11MWZから13MWZに変更になったと書かれています。
後で、何か分かりましたら、追記します。
2007年: ラングラーの後援者である(ロデオのベーブルースとして知られていた)ジムショルダーズが他界します。彼の死去により、58年間のブランドのパートナーシップは終わりとなりました。プロスポーツの歴史の中で、最も長いスポーツライセンス支援の記録です。
関連記事: ラングラーの市場での成功においてジムショルダーズの果たした功績、貢献は多大な物があります。
[ジム・ショルダーズとラングラー ##link##]
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