ラングラーのジーンズが初めて市場に登場したのは、第二次世界大戦後1947年の事です。
リーバイスとLeeの2大ジーンズメーカーが存在する市場に参入するためブルーベル社は、カウボーイの市場に特化したジーンズを作り、専用のブランド”ラングラー”の名前で売り込む戦略をとりました。
このブルーベルのラングラーブランド及び製品戦略は見事に成功し、ご存知の通りラングラーは現代において米3大ジーンズブランドの一角として認知されています。
このラングラーの成功に多大なる貢献をしたのがジムショルダーズです。ジムショルダーズは、1940年代の後半から1950年代にロデオ界で(当時)前例のない16の世界チャンピオンを獲得したレジェンドです。ロデオカウボーイのベーブルース*と呼ばれています。
(* Babe Ruth of rodeo cowboys: ベーブルースはアメリカ文化の最も偉大なスポーツヒーローの一人と認知される米プロ野球界のレジェンドです。)
(写真はPRORODEO HALL OF FAMEから)
Sponsored Links
以下Wranglerのホームページにあるラングラーの歴史から1947年と1948年の記述を抜粋し訳したものを紹介します。
『1947年 - 有名なテイラー(仕立て屋)ロデオベンによってデザインされたラングラー・オーセンティック・ウエスタン・ジーンズが発表されます。プロ・ロデオカウボーイのジム・ショルダーズ、ビル・リンダーマン、そしてフレクレス・ブラウンは13MWZの着用テストを行い、ラングラーは耐久性、品質、本格的なものであると認可しました。』
『1948年 - ワールドチャンピオン・カウボーイのジムショルダーズが、ラングラーの正式公認者として契約を結びます。彼はその後、計16のチャンピオンのタイトルを獲得します。』
ジムショルダーズとラングラーの関係について、とても興味深いブログ記事を見つけました。
このブログ記事は、ジムショルダーズの奥さんのシャロンさんのインタビューを元に作成されています。本ブログ記事から部分的に引用、訳したものを以下に紹介します。
"Justin and Wrangler Maintain a Loyalty to Jim Shoulders", Drysdales' Western Lifestyles
ジムショルダーズとラングラーの長い付き合いが始まったのは、シャロンとジムが1947年に結婚してすぐ後のニューヨークのマディソンスクエアガーデンに行った時でした。
『当時、マディソンスクエアでのロデオ大会は、今日のナショナルファイナルロデオに相当するものでした。』『最も高い懸賞金がかかる最大のロデオ大会で、全てのカウボーイが参加したがるものでした。』とシャロンは語っています。
そして、そこにブルーベル(ラングラーの会社)がジャケットとジーンズを山積みにして現れました。
ショルダーズにとって幸運にも彼の初めてビッグアップル(ニューヨークの呼称)への旅の間に、二つのイベントで優勝したため、ジーンズメーカー(ラングラー/ブルーベル)は彼に公認者になることを求めました。
シャロンによると、長い間、彼女の夫はラングラーのマーケティングディレクターの名刺の裏に書かれた”彼に彼が欲しいだけのジーンズと250ドルを渡す”にサインして年間契約を行っていました。
『ジムは - 250ドルと無料で服が貰える - のは凄く良いと思っていました。』『もちろんその後、契約内容はさらに良くなりました。』と彼女は語っています。
ラングラーはショルダーズを含むロデオカウボーイ達に、小さなカードにジーンズの批評を書いて欲しいと頼みました。
それらの批評が13MWZとして知られるモデル、ラングラーのオリジナルカウボーイ・カットジーンズの開発に繋がっています。それらのジーンズは現在も存在しています。
『ジムは、彼が考えるジーンズとはどんなものかについて、とても細かい注文をカードに書き込んでいました。』と彼女は語っています。
ショルダーズと他のカウボーイ達の意見から、サドルを傷つけない平らなリベット、ブーツカットのレッグオープニング、深いフロントポケット、座っても財布が入れられる高い位置に取り付けられたバックポケット、シャツの裾が飛び出さない深い股上、そしてジッパーフライ等の特徴を備える13MWZが出来上がりました。
ラングラーは新しい派生版のジーンズをショルダーズに送りましたが、彼は何十年もの間、13MWZを着続ける事に固執していました。
シャロンによると、タルサにあるDrysdales' stores*で新製品のラングラーとカウボーイカットジーンズを時折、交換していたそうです。
(* この元記事のブログを運営するウエスタン衣料品販売店)
『ジムがいつも着て(穿いて)いるのは13MWZだったわ。ラングラーは度々、オリジナルと異なる派生品を持ってきていたけど、ジムはずっと長い間、13MWZを穿き続けていた。それから、彼が穿いていた13MWZは彼と一緒に埋葬したことを付け加えておくわ。』
引用訳終わり
ジムショルダーズは1928年5月13日生まれです。彼がシャロンとの新婚旅行をかねて初めてマディソンスクエアガーデンに行ったのは、彼が19才の時です。そして、その時からラングラーとの付き合いが始まりました。
ラングラーの立ち上がり期は、ジムのプロとしてのキャリアの始まりであった事も不思議な縁を感じます。
上で引用している奥さんの話からも、ジムショルダーズがカウボーイ専用の新しいジーンズの開発に非常に情熱を持って参考意見を提供していた事が想像できます。
ラングラーのジーンズの仕様設定から市場における認知と普及に至るまでの過程において、ジムショルダーズの貢献度は多大であったと思います。
そして、ジムショルダーズがとても13MWZ*にとても強い愛着を持っていた事が、奥さんの話からも良く伝わってきます。
彼の埋葬の時に、13MWZも彼と一緒に埋めたと言う話はとても印象的です。
ラングラーの13MWZは開発当初の特徴的な仕様を伝統的に継承して今も備えています。主な特徴を以下に記します
ラングラージーンズのデザインの特徴:
ジムショルダーズが開発段階から関わり愛用した13MWZが当初の基本仕様を継承して今も存在する事は感慨深いものがあります。
Sponsored Links
リーバイスとLeeの2大ジーンズメーカーが存在する市場に参入するためブルーベル社は、カウボーイの市場に特化したジーンズを作り、専用のブランド”ラングラー”の名前で売り込む戦略をとりました。
このブルーベルのラングラーブランド及び製品戦略は見事に成功し、ご存知の通りラングラーは現代において米3大ジーンズブランドの一角として認知されています。
このラングラーの成功に多大なる貢献をしたのがジムショルダーズです。ジムショルダーズは、1940年代の後半から1950年代にロデオ界で(当時)前例のない16の世界チャンピオンを獲得したレジェンドです。ロデオカウボーイのベーブルース*と呼ばれています。
(* Babe Ruth of rodeo cowboys: ベーブルースはアメリカ文化の最も偉大なスポーツヒーローの一人と認知される米プロ野球界のレジェンドです。)
![]() |
Jim Shoulders, Photo: ProRodeo Hall of Fame |
Sponsored Links
以下Wranglerのホームページにあるラングラーの歴史から1947年と1948年の記述を抜粋し訳したものを紹介します。
『1947年 - 有名なテイラー(仕立て屋)ロデオベンによってデザインされたラングラー・オーセンティック・ウエスタン・ジーンズが発表されます。プロ・ロデオカウボーイのジム・ショルダーズ、ビル・リンダーマン、そしてフレクレス・ブラウンは13MWZの着用テストを行い、ラングラーは耐久性、品質、本格的なものであると認可しました。』
『1948年 - ワールドチャンピオン・カウボーイのジムショルダーズが、ラングラーの正式公認者として契約を結びます。彼はその後、計16のチャンピオンのタイトルを獲得します。』
ジムショルダーズとラングラーの関係について、とても興味深いブログ記事を見つけました。
このブログ記事は、ジムショルダーズの奥さんのシャロンさんのインタビューを元に作成されています。本ブログ記事から部分的に引用、訳したものを以下に紹介します。
"Justin and Wrangler Maintain a Loyalty to Jim Shoulders", Drysdales' Western Lifestyles
![]() |
ジム・ショルダーズと奥さんのシャロンさん |
ジムショルダーズとラングラーの長い付き合いが始まったのは、シャロンとジムが1947年に結婚してすぐ後のニューヨークのマディソンスクエアガーデンに行った時でした。
『当時、マディソンスクエアでのロデオ大会は、今日のナショナルファイナルロデオに相当するものでした。』『最も高い懸賞金がかかる最大のロデオ大会で、全てのカウボーイが参加したがるものでした。』とシャロンは語っています。
そして、そこにブルーベル(ラングラーの会社)がジャケットとジーンズを山積みにして現れました。
ショルダーズにとって幸運にも彼の初めてビッグアップル(ニューヨークの呼称)への旅の間に、二つのイベントで優勝したため、ジーンズメーカー(ラングラー/ブルーベル)は彼に公認者になることを求めました。
シャロンによると、長い間、彼女の夫はラングラーのマーケティングディレクターの名刺の裏に書かれた”彼に彼が欲しいだけのジーンズと250ドルを渡す”にサインして年間契約を行っていました。
『ジムは - 250ドルと無料で服が貰える - のは凄く良いと思っていました。』『もちろんその後、契約内容はさらに良くなりました。』と彼女は語っています。
ラングラーはショルダーズを含むロデオカウボーイ達に、小さなカードにジーンズの批評を書いて欲しいと頼みました。
それらの批評が13MWZとして知られるモデル、ラングラーのオリジナルカウボーイ・カットジーンズの開発に繋がっています。それらのジーンズは現在も存在しています。
『ジムは、彼が考えるジーンズとはどんなものかについて、とても細かい注文をカードに書き込んでいました。』と彼女は語っています。
ショルダーズと他のカウボーイ達の意見から、サドルを傷つけない平らなリベット、ブーツカットのレッグオープニング、深いフロントポケット、座っても財布が入れられる高い位置に取り付けられたバックポケット、シャツの裾が飛び出さない深い股上、そしてジッパーフライ等の特徴を備える13MWZが出来上がりました。
ラングラーは新しい派生版のジーンズをショルダーズに送りましたが、彼は何十年もの間、13MWZを着続ける事に固執していました。
シャロンによると、タルサにあるDrysdales' stores*で新製品のラングラーとカウボーイカットジーンズを時折、交換していたそうです。
(* この元記事のブログを運営するウエスタン衣料品販売店)
『ジムがいつも着て(穿いて)いるのは13MWZだったわ。ラングラーは度々、オリジナルと異なる派生品を持ってきていたけど、ジムはずっと長い間、13MWZを穿き続けていた。それから、彼が穿いていた13MWZは彼と一緒に埋葬したことを付け加えておくわ。』
引用訳終わり
ジムショルダーズは1928年5月13日生まれです。彼がシャロンとの新婚旅行をかねて初めてマディソンスクエアガーデンに行ったのは、彼が19才の時です。そして、その時からラングラーとの付き合いが始まりました。
ラングラーの立ち上がり期は、ジムのプロとしてのキャリアの始まりであった事も不思議な縁を感じます。
上で引用している奥さんの話からも、ジムショルダーズがカウボーイ専用の新しいジーンズの開発に非常に情熱を持って参考意見を提供していた事が想像できます。
ラングラーのジーンズの仕様設定から市場における認知と普及に至るまでの過程において、ジムショルダーズの貢献度は多大であったと思います。
そして、ジムショルダーズがとても13MWZ*にとても強い愛着を持っていた事が、奥さんの話からも良く伝わってきます。
彼の埋葬の時に、13MWZも彼と一緒に埋めたと言う話はとても印象的です。
ラングラーの13MWZは開発当初の特徴的な仕様を伝統的に継承して今も備えています。主な特徴を以下に記します
ラングラージーンズのデザインの特徴:
- サドルを傷つけないフラット(表面が平らな)なリベット
- ブーツカットのレッグオープニング
- グローブが奥まで入る深いフロントポケット
- 高めの位置に取り付けられたバックポケット
- ベルトをしっかりと固定するための7本のベルトループ
- シャツの裾が飛び出さない様に深めの股上
ジムショルダーズが開発段階から関わり愛用した13MWZが当初の基本仕様を継承して今も存在する事は感慨深いものがあります。
Sponsored Links
COMMENTS