ヴィンテージのLeeの製品は、随所に個性的なディテールと特徴を備えた魅力的な製品が多いです。Leeはデザイン性、機能性にとても優れた数々の逸品を生み出し長年製造してきました。
リーバイスの501は生まれた当時の基本的な仕様からほとんど変わらずに、驚異的な程、長い期間製造されてきたことは有名です。
過去のLeeの製品の場合は、ジーンズ以外のジャケット等のデニム製品でも数十年から50年近くデザインや基本仕様が変わらない製品が少なくありません。
代表例としては、91-J, 91-B, 101-J, ストームライダー等です。これらの製品は1920年代から1930年代の前半に誕生しています。
代表例としては、91-J, 91-B, 101-J, ストームライダー等です。これらの製品は1920年代から1930年代の前半に誕生しています。
戦前からLeeはワークウェア市場においてかなりのマーケットシェアを持っていたと思います。売り上げ等の数字の情報は持っていませんが、恐らく会社としての事業規模はリーバイスを大きく上回っていたのではないかと想像しています。
1950年代後半からデニム衣料の購買層はそれまでの労働者層から一般の若年層に広がり始めます。1960年代の初め頃、デニムジャケットではLeeの101-Jがリーバイスの507XXよりも売れていたとの話を聞いた事があります。
また、Leeは1950年代の終わり頃にインディゴ以外の色味の異素材(デニム以外の生地)を使用したウエスターナーを市場に投入しています。ウエスターナーは新たなデニム衣料の市場であるアメリカ東部で人気を得ていた様です。
1962年にモデルチェンジしたリーバイスのデニムジャケット557(通称サード)は、外観デザイン、ディテール共に明らかにLeeの101-Jの影響を強く受けていることが随所に見られます。
サードモデルには940/941BXX、840BXX等の異素材のバージョンがあります。こちらもウエスターナーの影響を受けてラインに加えられたものであることは明らかです。
ブランケット付きデニムジャケットに”ストームライダー”、白や茶等の色味の異なるジャケットに”ウエスターナー”と名付ける等、ネーミング、ブランド戦略の点でも、リーバイスよりも先を行っている感は否めません。
ジーンズでもリーバイスはLeeの後を追う様に、1963年に防縮加工、ジッパー付きのジーンズ551ZXXを発表します。
1960年代の半ば少し過ぎには、バックポケット取り付け補強の隠しリベットを廃止してバータックに切り替えます。バータックへの移行も結果論的に言えば、Leeを追随する動きです。
製品企画、ブランディング等ではLeeに遅れをとっていたリーバイスですが、1960年代のジーンズの一般層への急速な普及の大きな波に乗って、事業的には急激な拡大を達成しています。
リーバイスは1965年に"Levi Strauss International"及び"Levi Strauss Far East"を設立。ヨーロッパとアジアでの事業展開を本格的に開始しています。
英語版Wikipediaによると、リーバイスは1960年代の中頃少し前から1970年代の前半にかけて生産力を急激に拡大させたとあります。具体的には、1964年から1974年の間に米国内に16の工場から63の工場まで拡大、さらには海外にも23工場を有したと書かれています。
一方のLeeは1969年にVF社に吸収合併されています。Leeのホームページにある会社の歴史には、「VF社と合併する事により世界最大級の衣料品メーカー企業群の一つとなった。この合併により、Leeの生産部門のアップグレードと海外生産への拡張を可能にした。」と書かれています。
このことは見方を変えると、リーバイスが国内外で生産能力や販売拠点を急速に拡大しているにもかかわらず、Leeはリーバイスに完全に遅れをとっており、結果的には自社単独での生産力拡大を断念し、吸収合併してそれを達成した事になります。
一般的に、売り上げが急速に伸びているのであれば、設備投資や事業拡大に伴う資金の調達も比較的問題なくできます。恐らく、Leeは60年代の急激な時代の変化と潮流にうまく乗る事ができず、売り上げもそれ程順調に拡大してはいなかったのではないかと思います。
上述、Leeホームページの会社の歴史に”1970年、Leeはワークウェア事業からファッションサイクルの衣料事業へ完全に移行した。”と記載されています。
戦後から60年代にかけて、デニム衣料の購買層は労働者層から一般消費者層へ急速に移行、市場規模も急激な拡大となったことと思われます。逆にワークウェア市場は衰退の時期だったと想像しています。
ワークウェアで高いシェアを持っていたLeeは、この大きな市場変化にうまく乗る事ができずリーバイスは逆にこの大きな流れに乗って事業的に大成功したと言えると思います。まさにこの時期に両者の明暗がはっきりと分かれたこととなりました。
VF傘下となったLeeは、70年代の初め(72年)頃にジーンズやデニムジャケットの品番変更を行います。ジーンズは101から200へ、ジャケットは101-Jから220と品番が変わりました。
この品番変更は、基本的な仕様及びデザインコンセプトは変わらないものの、それまでジャケットのタグに表記されていた品番は220からは記載されず、品番は取り扱い表記タブの方に小さく記載されるだけとなりました。
魅力溢れる数々の製品を輩出したLeeでしたが、VF社に吸収されてからのブランドイメージは低下して行った様な印象を持っています。
70年代のLeeの製品を見たり、手に取ったり着てみると、古き良き時代のLeeの伝統と魅力を継承した遺産の様な製品であると思えてなりません。
(上の写真はWebストアの1970年頃のLee 101-Jとデッドストックの70年代前半のLee 200です。)
リーバイスは1965年に"Levi Strauss International"及び"Levi Strauss Far East"を設立。ヨーロッパとアジアでの事業展開を本格的に開始しています。
英語版Wikipediaによると、リーバイスは1960年代の中頃少し前から1970年代の前半にかけて生産力を急激に拡大させたとあります。具体的には、1964年から1974年の間に米国内に16の工場から63の工場まで拡大、さらには海外にも23工場を有したと書かれています。
一方のLeeは1969年にVF社に吸収合併されています。Leeのホームページにある会社の歴史には、「VF社と合併する事により世界最大級の衣料品メーカー企業群の一つとなった。この合併により、Leeの生産部門のアップグレードと海外生産への拡張を可能にした。」と書かれています。
このことは見方を変えると、リーバイスが国内外で生産能力や販売拠点を急速に拡大しているにもかかわらず、Leeはリーバイスに完全に遅れをとっており、結果的には自社単独での生産力拡大を断念し、吸収合併してそれを達成した事になります。
一般的に、売り上げが急速に伸びているのであれば、設備投資や事業拡大に伴う資金の調達も比較的問題なくできます。恐らく、Leeは60年代の急激な時代の変化と潮流にうまく乗る事ができず、売り上げもそれ程順調に拡大してはいなかったのではないかと思います。
上述、Leeホームページの会社の歴史に”1970年、Leeはワークウェア事業からファッションサイクルの衣料事業へ完全に移行した。”と記載されています。
戦後から60年代にかけて、デニム衣料の購買層は労働者層から一般消費者層へ急速に移行、市場規模も急激な拡大となったことと思われます。逆にワークウェア市場は衰退の時期だったと想像しています。
ワークウェアで高いシェアを持っていたLeeは、この大きな市場変化にうまく乗る事ができずリーバイスは逆にこの大きな流れに乗って事業的に大成功したと言えると思います。まさにこの時期に両者の明暗がはっきりと分かれたこととなりました。
VF傘下となったLeeは、70年代の初め(72年)頃にジーンズやデニムジャケットの品番変更を行います。ジーンズは101から200へ、ジャケットは101-Jから220と品番が変わりました。
この品番変更は、基本的な仕様及びデザインコンセプトは変わらないものの、それまでジャケットのタグに表記されていた品番は220からは記載されず、品番は取り扱い表記タブの方に小さく記載されるだけとなりました。
魅力溢れる数々の製品を輩出したLeeでしたが、VF社に吸収されてからのブランドイメージは低下して行った様な印象を持っています。
70年代のLeeの製品を見たり、手に取ったり着てみると、古き良き時代のLeeの伝統と魅力を継承した遺産の様な製品であると思えてなりません。
(上の写真はWebストアの1970年頃のLee 101-Jとデッドストックの70年代前半のLee 200です。)
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