本日、リーバイス本社のツイッターが私のアカウントをフォローしてくれました。とても嬉しいです。
その事を記念して、本日はリーバイス社のブログ記事を訳して紹介致します。(フォローして頂いたものの、私のツイッターは日本語なのでいつまでフォローしてもらえるかは分かりません。)
その事を記念して、本日はリーバイス社のブログ記事を訳して紹介致します。(フォローして頂いたものの、私のツイッターは日本語なのでいつまでフォローしてもらえるかは分かりません。)
今回紹介するのはリーバイス社のヒストリアン、Lynn Downeyさんが本社のブログに投稿した"LS&CO. VALUE, 1890S STYLE-THE STORY OF THE 201J® JEAN"です。
リーバイスのアーカイブ部門は、常時、コレクションに加えるヴィンテージ衣料、広告、写真を探し求めています。数年前、小さなヴィンテージのドキュメントのコレクションを購入しました。そのページの間に潜んでいたものに1906年のサンフランシスコの地震と火災で失われた疑問に対する答えがありました。
LS&Co.は1890年頃に登場した有名な501®の廉価版を市場に投入しました。その製品はプレミアムのある兄弟製品より少し廉価で、201®または"No. 2"と呼ばれるものでした。
リーバイス社は全ての労働者がワークパンツのトップラインを購入する事ができるわけでないことを知っていたため、このジーンズをラインに加えたのです。”リベット使用の衣料品の特許”の考案者としてLS&Co.は、全ての消費者に製品を提供する事は重要であると認識していました。
リーバイス社は全ての労働者がワークパンツのトップラインを購入する事ができるわけでないことを知っていたため、このジーンズをラインに加えたのです。”リベット使用の衣料品の特許”の考案者としてLS&Co.は、全ての消費者に製品を提供する事は重要であると認識していました。
501®と同様に201®は、最初のブルージーンズの名を持つ有名な"XX"デニムではないもののニューハンプシャーのアモスケイグ社のデニムを使用していました。ウエストバンドに革ではなくリネン(麻)のパッチ(ラベル)、そして廉価版のボタンを使用していました。しかし、銅リベットは全てあるべき場所に取り付けられていました。
第二次世界大戦の頃、501®が市場をほぼ占有したため、201®は姿を消しました。(製造中止となりました)
しかし、何時その製品をリーバイス社が市場に投入したのかについて誰も答えを知りませんでした。我々は19世紀の終わり頃だろうと考えていましたが、1906年に全ての資料を失ってしまったためそれを証明する記録を持っていませんでした。
そして幸いにも、あるpaper collectible showで私が購入した束のドキュメントに、201®ジーンズが初登場した時期の謎を解明する答えがありました。
それは、LS&Co.がカリフォルニア州ゴールドカントリーのVallecito社のJ. Arata氏に送った15の諸々のドキュメントの中にあったのです。
それらの中の一つは、LS&Co.社の日用品のArata氏への請求書と一緒に送られたものでした。1890年6月13日の日付の手書きノートで以下のことが記されていました。
それは、LS&Co.がカリフォルニア州ゴールドカントリーのVallecito社のJ. Arata氏に送った15の諸々のドキュメントの中にあったのです。
それらの中の一つは、LS&Co.社の日用品のArata氏への請求書と一緒に送られたものでした。1890年6月13日の日付の手書きノートで以下のことが記されていました。
我々のNo. 2リベティッドオーバーオールのサンプルを1ダース7ドルにて、こちらの裁量でご注文に加えさせて頂きます。これは我々が最近市場に投入した製品で、他社から御社に提供されているかもしれないリベティッドオーバーオールと詳細についてご比較して頂ければ幸いです。
201®が”最近市場に投入した”日が分かりました。正にその日(時)ではありませんが時期を絞り込む事はできます。アーカイブスタッフにとって、とても喜ばしいニュースでした。
さらにこの資料は、その後すぐに世界的に有名となる501®ジーンズをまさに作り始めようとする時期であり、リーバイス社がどのように競合から自社製品のビジネスを守ろうと尽力を尽くしていたかを示しています。
さらにこの資料は、その後すぐに世界的に有名となる501®ジーンズをまさに作り始めようとする時期であり、リーバイス社がどのように競合から自社製品のビジネスを守ろうと尽力を尽くしていたかを示しています。
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