Leeの歴史、戦前編からの続きです。(
米国Leeのサイトの歴史のページから写真と説明訳を紹介しています。)
1944年: Leeはバックポケットのステッチ、”Lazy S"を発表します。このデザインのアイディアは、両方のバックポケットのステッチを一緒に見た時、有名なロングホーンのシェープに似て見える様にしたことでした。
このデザインは1926年に発表したカウボーイ・パンツに使用してきたアーキュエットから切り替えられました。この年は、Leeのカウボーイ衣料(Cowboyのライン)がLee Ridersのラベルに変更となった年でもあります。
(コメント)1943年にリーバイスはアーキュエット・ステッチの商標登録を取得します。このことにより、Leeはバックポケットにアーキュエットを使えなくなりました。代替えとして考案されたのが、Lazy Sです。
Lazy Sがロングホーンの角の形をイメージした物だとは知りませんでした。考えてみると確かにその通りです。ご参考までにロングホーンの写真を以下に添付します。
リーバイスのアーキュエット商標登録が、結果的にLeeのジーンズを象徴するLazy Sを生み出すことになるところが面白い所です。
1946年: Leeは、Hair-on-Hide(脱色していない毛の付いた牛の皮革)からTwitchレーベルに変更します。
(コメント)Twitchは”引きつる、突然暴れだす(暴走する)”と言った意味です。
Leeのページの説明によるとtwitchは、twitchを調節する、コントロールすることを象徴するブランドの意味としているそうです。恐らく、カウボーイ・ロデオの”調教”の意味を含ませていると想像しています。
1949年: まだ立ち上がっていない女性用ジーンズ市場向けに、業界で最もフィットするジーンズであると提唱するLady Lee Ridersを発表します。
(コメント)実際にはリーバイスは女性用ジーンズ701を戦前から販売しています。また、いくつかのメーカーも女性用のジーンズを既に作っていました。
恐らく、女性向けのジーンズのブランド広告等を含めて本格的に取り組んだのはLeeが初めてだったのではないかと思います。
1954年: ジェームスディーンがエデンの東、マーロンブランドが"The Wild One"の映画にジーンズを穿いて登場します。
このことにより、"biker cult"(直訳的には、”狂信的なオートバイ乗り教”です。
オートバイ乗りの特有の象徴的なファッション・スタイル文化と言った感じの意味になると思います。)が誕生し、デニムがワークウェアからポップカルチャーへ移行の始まりとなりました。
ワークウェアとウエスタンウェアでの市場を独占しながら、Leeは娯楽ウェア(leisure wear)とし"Leesures: "Comfort Clothes for Work and Play."のラインを追加します。
(コメント)Leeは40年代にワークウェアの業界第一位の市場シェアを獲得していたそうです。実際、製品群をみてもそうだろうと思います。
ウエスタンウェアでどの程度成功していたのかは不明ですが、恐らく、リーバイスの進出があまり進んでいなかった中南部で成功していたと思います。
バイク乗り達の間で人気があったジーンズはやはり501XXだと思います。
Leesuresはオフのファッションブランドラインの様な位置づけだったと想像しています。”Comfort Clothes for Work and Play" (仕事と遊びに快適な衣類)のコピーからもそうだったと思います。
Leesuresのタグや名前はほとんど聞いた事がないので、あまり成功しなかったのだと思います。
1964年: LeeはストレッチパンツとLee-Prest パーマネント・プレスド・スラックスを、初の”ノーアイロン(アイロン不要)”スラックスとして市場に投入し、大衆着として普及します。これらは、余暇・娯楽ウェアのLeesuresコレクションに属する物でした。
(コメント)同じ時期にリーバイスはポリエステル混紡のアイロン不要のスタープレスト(通称スタプレ)のラインを市場に投入しています。
50年代の終わり頃からLeeとリーバイスが直接競合する製品・市場が多くなりました。Lee-Prestはリーバイスとの代表的な競合製品の一つだと思います。
1969年: LeeはVF社と合併し、世界最大級の衣料品メーカー企業群の一つとなります。この合併は、Leeの生産部門のアップグレードと海外生産への拡張を可能としました。
(コメント)この時期のLeeの業績について具体的な情報は持っていませんが、一時の勢いは失われて、後退局面だった様に思います。
1970年: Leeはワークウェア事業からファッションサイクルの衣料事業に完全に移行します。Leeは米国外の82の国に製品を輸出していました。
(コメント)恐らくワークウェア衣料市場は停滞が続いており、ファッション衣料市場が大きく拡大していた時期だと思います。
時代の流れに合わせるため、Leeも伝統的な事業分野であったワークウェア市場から撤退することになったと思われます。
ワークウェアのトップブランドであったLeeの時代の幕を閉じる出来事だったと思います。
この1970年でLeeのホームページの歴史は終わっています。
(全体を振り返って)
戦前のLeeの勢いはもの凄い物があったと改めて思います。魅力的な製品を続々と開発、斬新な宣伝販売手法は時代の先を行く、とても優れた企業だったと思います。
戦後から60年代の期間のジーンズの若者から一般大衆への急速な普及期に、一時は市場をリードしたものの(60年代初頭、東部の若者にはLeeがかなり受け入れられていた様です)、その後のさらなるジーンズ拡大期にリーバイスとの差が拡大して行った様に思います。
また、カウボーイ市場に完全に注力したラングラーの躍進の中、ジーンズでのシェアの停滞、そして、従来からの期間事業であったワークウェアが時代の流れと共に縮小する中で、事業が低迷していったと思われます。
VF社との合併も、海外展開では効果があったかと思いますが、Leeと言うブランドは衰退の一途をたどってしまったと想像します。
1969年のVF社との合併後、1970年の説明でそれ以降の歴史のページがないことからも、そのことが示されていると思います。
しかし、現在のヴィンテージと言うと、定義にもよりますが、一般的に70年代以前の製品が該当します。
ヴィンテージの年代のLeeの製品は魅力たっぷりの製品が多いです。Leeのヴィンテージは、リーバイスとは異なる魅力があります。
日本市場ではエドウインがLeeの商権を獲得し、Leeブランド製品の企画、生産、販売を行っています。復刻製品等でもとても評判の良い製品があると聞いています。
米国Leeのサイトの歴史のページから写真と説明訳を紹介しています。)
1944年: Leeはバックポケットのステッチ、”Lazy S"を発表します。このデザインのアイディアは、両方のバックポケットのステッチを一緒に見た時、有名なロングホーンのシェープに似て見える様にしたことでした。
このデザインは1926年に発表したカウボーイ・パンツに使用してきたアーキュエットから切り替えられました。この年は、Leeのカウボーイ衣料(Cowboyのライン)がLee Ridersのラベルに変更となった年でもあります。
(コメント)1943年にリーバイスはアーキュエット・ステッチの商標登録を取得します。このことにより、Leeはバックポケットにアーキュエットを使えなくなりました。代替えとして考案されたのが、Lazy Sです。
Lazy Sがロングホーンの角の形をイメージした物だとは知りませんでした。考えてみると確かにその通りです。ご参考までにロングホーンの写真を以下に添付します。
リーバイスのアーキュエット商標登録が、結果的にLeeのジーンズを象徴するLazy Sを生み出すことになるところが面白い所です。
1946年: Leeは、Hair-on-Hide(脱色していない毛の付いた牛の皮革)からTwitchレーベルに変更します。
(コメント)Twitchは”引きつる、突然暴れだす(暴走する)”と言った意味です。
Leeのページの説明によるとtwitchは、twitchを調節する、コントロールすることを象徴するブランドの意味としているそうです。恐らく、カウボーイ・ロデオの”調教”の意味を含ませていると想像しています。
1949年: まだ立ち上がっていない女性用ジーンズ市場向けに、業界で最もフィットするジーンズであると提唱するLady Lee Ridersを発表します。
(コメント)実際にはリーバイスは女性用ジーンズ701を戦前から販売しています。また、いくつかのメーカーも女性用のジーンズを既に作っていました。
恐らく、女性向けのジーンズのブランド広告等を含めて本格的に取り組んだのはLeeが初めてだったのではないかと思います。
1954年: ジェームスディーンがエデンの東、マーロンブランドが"The Wild One"の映画にジーンズを穿いて登場します。
このことにより、"biker cult"(直訳的には、”狂信的なオートバイ乗り教”です。
オートバイ乗りの特有の象徴的なファッション・スタイル文化と言った感じの意味になると思います。)が誕生し、デニムがワークウェアからポップカルチャーへ移行の始まりとなりました。
ワークウェアとウエスタンウェアでの市場を独占しながら、Leeは娯楽ウェア(leisure wear)とし"Leesures: "Comfort Clothes for Work and Play."のラインを追加します。
(コメント)Leeは40年代にワークウェアの業界第一位の市場シェアを獲得していたそうです。実際、製品群をみてもそうだろうと思います。
ウエスタンウェアでどの程度成功していたのかは不明ですが、恐らく、リーバイスの進出があまり進んでいなかった中南部で成功していたと思います。
バイク乗り達の間で人気があったジーンズはやはり501XXだと思います。
Leesuresはオフのファッションブランドラインの様な位置づけだったと想像しています。”Comfort Clothes for Work and Play" (仕事と遊びに快適な衣類)のコピーからもそうだったと思います。
Leesuresのタグや名前はほとんど聞いた事がないので、あまり成功しなかったのだと思います。
1964年: LeeはストレッチパンツとLee-Prest パーマネント・プレスド・スラックスを、初の”ノーアイロン(アイロン不要)”スラックスとして市場に投入し、大衆着として普及します。これらは、余暇・娯楽ウェアのLeesuresコレクションに属する物でした。
(コメント)同じ時期にリーバイスはポリエステル混紡のアイロン不要のスタープレスト(通称スタプレ)のラインを市場に投入しています。
50年代の終わり頃からLeeとリーバイスが直接競合する製品・市場が多くなりました。Lee-Prestはリーバイスとの代表的な競合製品の一つだと思います。
1969年: LeeはVF社と合併し、世界最大級の衣料品メーカー企業群の一つとなります。この合併は、Leeの生産部門のアップグレードと海外生産への拡張を可能としました。
(コメント)この時期のLeeの業績について具体的な情報は持っていませんが、一時の勢いは失われて、後退局面だった様に思います。
1970年: Leeはワークウェア事業からファッションサイクルの衣料事業に完全に移行します。Leeは米国外の82の国に製品を輸出していました。
(コメント)恐らくワークウェア衣料市場は停滞が続いており、ファッション衣料市場が大きく拡大していた時期だと思います。
時代の流れに合わせるため、Leeも伝統的な事業分野であったワークウェア市場から撤退することになったと思われます。
ワークウェアのトップブランドであったLeeの時代の幕を閉じる出来事だったと思います。
この1970年でLeeのホームページの歴史は終わっています。
(全体を振り返って)
戦前のLeeの勢いはもの凄い物があったと改めて思います。魅力的な製品を続々と開発、斬新な宣伝販売手法は時代の先を行く、とても優れた企業だったと思います。
戦後から60年代の期間のジーンズの若者から一般大衆への急速な普及期に、一時は市場をリードしたものの(60年代初頭、東部の若者にはLeeがかなり受け入れられていた様です)、その後のさらなるジーンズ拡大期にリーバイスとの差が拡大して行った様に思います。
また、カウボーイ市場に完全に注力したラングラーの躍進の中、ジーンズでのシェアの停滞、そして、従来からの期間事業であったワークウェアが時代の流れと共に縮小する中で、事業が低迷していったと思われます。
VF社との合併も、海外展開では効果があったかと思いますが、Leeと言うブランドは衰退の一途をたどってしまったと想像します。
1969年のVF社との合併後、1970年の説明でそれ以降の歴史のページがないことからも、そのことが示されていると思います。
しかし、現在のヴィンテージと言うと、定義にもよりますが、一般的に70年代以前の製品が該当します。
ヴィンテージの年代のLeeの製品は魅力たっぷりの製品が多いです。Leeのヴィンテージは、リーバイスとは異なる魅力があります。
日本市場ではエドウインがLeeの商権を獲得し、Leeブランド製品の企画、生産、販売を行っています。復刻製品等でもとても評判の良い製品があると聞いています。
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