
昨日の記事の続きになります。今回も長くなります。
チーコが突然息を引き取ってしまい、自分でも信じられないほど悲しみに包まれてしまいました。
しかし、自分にはしなければならないことが発生しました。チーコを火葬してもらうことです。
ペットが死んだ時どうするのかについて、ネットで調べてみました。
人にもよると思いますし、テキサスの場合は、庭に埋める人もいると思います。
しかし、ネットで見る限り、火葬が主でした。(それしかみません)
アメリカでは、人は土葬が一般的と認識していたので、ペットももしかするとそうではないかと思っていたので、少し意外でした。
ほとんどのところが、遺体を預かり、思い出に遺髪と足型をとった後、火葬して、飼い主に遺灰、遺髪と足型を含めてパッケージとして引き渡すサービスとなっていました。(低額のサービスは、グループで火葬して処理するようです。)
何件か電話して詳細を問い合わせたところ、ほとんどのところは、遺体を病院か自宅から引き取って、保管し、処理して返却スタイルでした。
私は、自分で連れて行って、その場で火葬してもらい、そして、家に連れて帰りたいとの希望を伝えたのですが、どこもそのような希望に対応はできないとのことでした。
一箇所だけ、連れてきてそれを預かって、一日か二日後に取りに来るのであればできます。と言うような返事をもらいました。
自分の希望に合致するものはないかと必死に探したのですが、見つかりません。(そもそもそれほど多くはありません。車で数時間以上離れたところでもかまわないから、やってくれるところを探していました。)
テキサスは犬を飼っている人が多いので、それなりに需要もあると思いますが、作業はかなり合理的に行われる側面があります。
一体一体を時間をかけて丁寧に処理するのは手間暇もかかり、効率的ではありません。その様な希望・需要もあるとは思いますが、多くはないのだと思います。
火葬のシステムがあるところも限られていて、設備があると思ったところに電話したのですが、その場ではできない。
立ち会いは、精神的に受けるダメージが大きすぎるので、受け付けていないとの回答でした。
個人でその仕事をやっていると思われる人から、「私のところはデリバリーサービスのみになります。今晩引き取りに行きます。(行けます)」とのメッセージをもらっていたので、電話をかけ、上に書いたような話をして断りました。
その後で、「あなたのビジネスにはなりませんが、私の希望に合うところをもしご存知でしたら、教えていただけないでしょうか?」とすがるように尋ねました。
「やってくれるとしたら、xxxだと思います。電話して聞いてみなさい」と言って、名前を教えてくれました。
そこに電話したのですが、既に営業時間を過ぎていたためメッセージを残し、メールもしました。
しかし、時間は限られているので、翌朝、チーコを連れてそこに行きました。チーコは車の中で待っててもらいました。
「連れてきて、その場で火葬してもらって、受け取って帰りたい。」と伝えると、明日の朝(7日)9時であればアポイントをとれますよ。と答えてくれました。
また、そこでは、エキストラのお金を払えば、火葬に立ち会うオプションもあります。と言われました。
そして、設備もお見せできますよ。と言われたので、見せてくれる様、お願いしました。
ペットの遺体が置いてあるのでかたずけますので、待ってください。と言われました。
そして、設備を見せてもらいました。当然のことですが、日本の人間の火葬場とは全く様子が異なります。
フリーザーもたくさんありました。ほとんどの場合は、その施設の中にあるフリーザーに入れられて、順番を待っています。
立ち会うかは今晩考えて、明日の朝回答します。それでいいですか?と聞いたところ、大丈夫です。と答えをもらいました。
その場では少し悩んだのですが、家に帰った時点で、少しでも一緒にいる。全て立ち会いたいという自分の意思が明確になりました。
そして、翌朝、チーコを連れて行きました。立ち会うことをお願いして、設備のあるところにも自分が抱えてつれていきました。
遺髪用の毛のカットも、最初は会社の人が小さいバリカンで入れたのですが、その後は私にやらせてくださいと言って、はさみで少しだけチーコの毛を切りました。
そして、足型をとるのも部分的にやらせてもらいました。
最後は火葬の炉に連れて行き、私が抱えて中に入れました。辛いけど、自分でやりたかったのでお願いしました。
その後、炉のスイッチを入れて、しばらくその場に一人でいさせてもらいました。
そして、待合室に行って、火葬が終わるのを待ちました。
全く知らなかったことなのですが、火葬後、通常は骨をグラインダーにかけて粉にします。
考えてみると、アメリカの火葬の場合、遺骨ではなく遺灰だったと思うので、肺にするためにグラインダーにかけるのが一般的なのだと思いました。
私はそのまま(と言ってもすでに小さな骨の断片が中心です。)の状態で引き取りたいとお願いして、手で袋に入れました。
袋に入れながら、隣にいる作業を行う方(手伝ってくださった方)に、自分が死んだ時、自分の骨とこの娘の骨を一緒にしてもらうようにお願いするつもりでいます。と話しました。
そんなこと思っているのは自分だけだろうななどと思って話しましたが、「そうする人はたくさんいますよ」と言われました。
一瞬聞き違い・勘違いされていると思って、「そんなことする人は、ほとんどいないと思う。」と言うと、「いや。たくさんいます。そうする人は多いです。」と答えられて、はたとアメリカではそうなのかもしれないと言うことに気付きました。
アメリカの場合は、人間は埋葬が一般的だと思っていましたが、火葬も増えているとのことです。
スティーブジョブズ氏も火葬でした。ジョブズ氏の場合は、仏教徒であることが理由としてあるのかなと思っています。
クリスチャンでも火葬することは増えていると教えてもらいました。
その人(若者)は、「私はボストンの出身で、海がそばにあるところに育ちました。死んだら、遺灰を海に流して欲しいと考えています。」とのことでした。
上に書いたように火葬のプロセスは合理的に行われるのが一般的ですが、遺灰を自分のものと一緒にする人が多くいることを知りました。
普通は知り得る機会があまりないようなことだと思います。
立ち会うのはとても辛いですが、ほぼ全て関わることができて、自分としては納得でき、とても良かったと思います。
娘もいてくれたら、とか家族がもっといれば、辛さ・気持ちを分かち合えるのにと思いましたが、それも自分の運命である。
辛いことでも自分が直接立ち会えたことで、チーコとの絆はさらに深まったと思いました。
特別な時に着る服
前日、何を着ていくか考えました。昔だったら、何を着るかなど考えなかったと思います。
仮に頭をよぎったとしても『重要なことは、その特別な事自体にある。何を着るかは重要ではない。(勿論それなりの格好はすると思います。)』と考えたと思います。
本質的にはその考えは今も変わっていません。
しかし、ヴィンテージと付き合う様になってから、服や靴などに対する考えが以前とは変わりました。
現在、私には恐らく一生手元において、特別な時・出来事の時に着ると考えているヴィンテージがあります。
上に着るのは、506XX。下は501XXの革パッチ。501XXはパッチ付きのものもあるのですが、今回はパッチなしの方にしました。(前者はサイズが少し大きいです。)

この506XXとパッチ付き501XXは、前オーナーが日系二世の方のものです。この二品は、一生付き合っていくと基本的に決めています。
(501XXは穿いて出かけたことがないので、その様な付き合い方が良いことなのか少し思いあぐんでいるところはあります。)
今回、もう一本の革パッチ 501XX (パッチ自体は付いていません)を穿いていくことを決めた時、この501XXとも一生付き合うことになると思いました。
インナーも自分の思い出がある特別なものを選んで着よう。そして、一生手元に残しておくものにしようと考えました。
90年代の前半に買って現在も愛用しているポールスミスのグレーのタートルネックのニットを着ることにしました。

このタートルは、ポールスミスのジーンズと一緒に買ったものです。この時のエピソードは以前記事として投稿しています。
最初期ポールスミス・ジーンズとの思い出

このタートルとも、すでに20年以上の付き合いです。綿なので、あまり頻繁には着ないようにしないと一生持たないなと思いました。
そしてタートルの下には、サーフィンを真剣にやっていた頃、80年代後半に当時サーフボードやウェットなどを購入してお世話になっていた蒲田の”ザ・サーフ”のTシャツを着ることにしました。

80年代のヘインズの青ラベルにショップのプリントが入っているものです。
20年以上タンスの中にしまっていました。ところどころに穴が空いています。

このTシャツは、この先、何度も着ることはないと思います。しかし、ずっと保管して、何か特別な時は着ようと思います。
そして、靴は何にするか?
80年代のレッドウィング アイリッシュセッター 866にすることにしました。
この866は、娘の大学進学の時にも履きました。
今回866を履いていくことにして、これも一生付き合うことになるのだなと思いました。
寒かった時用に40年代以前のウールリッチのウールシャツを持って行きました。
冒頭の写真のインナー・黒と赤の格子柄のウールシャツです。
タグは®なしの黒タグです。

このウールシャツは、普段も愛用しています。このシャツを着て、何度もチーコを抱っこしたり、散歩に連れて行ったりしています。
今回着るものの中で、一番チーコと関係があった服でもあります。
現場は寒かったので、ウールシャツも着ることになりました。
ここで紹介した服とブーツは、今回のチーコとの特別なひと時を過ごすのに付き合ってくれたものとなりました。
これらにチーコと私の特別な思い出が一つ加わりました。
別にヴィンテージでなくても、思い出が詰まったものは誰でも持っていると思います。
しかし、ヴィンテージと出会って、この様なことは考えるようになったり、意識するようになりました。
本当に不思議なことです。ヴィンテージは不思議な魅力を持っていると改めて思います。
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