投稿が滞ってしまい、すみません。関連サイトの一部では既に更新・投稿も行っておりますが、本ブログの投稿は今回が最初になります。
私にとって、このブログはブログやサイトの運営の原点です。そして、自分の考えが込められた記事も投稿しているブログです。
このブログだけは、何事もなかったかのように投稿、再開することは自分にはできません。
再開する前段階として、私の愛する娘(犬)のことを、今日は書かせていただきます。
人は皆、生きている間には、一生忘れることができない出来事を経験します。
2016年1月5日が、私にとって忘れることができない日となりました。
私には、一人の人間の娘ともう一人(一匹)の犬の娘がいます。早いもので、昨年、上の娘は18才になりました。下の娘の名前は、チーコと言います。
チーコが我が家に来たのは、生後7週間後の時です。生後7週間の犬は歩けますが、手間のかかるところは、人間の赤ちゃんと変わりありません。
家に来たばかりの時は、両手のひらくらいの大きさでした。本当に小ちゃかったです。
4時間おき位にトイレに行かせる必要があります。人間の赤ん坊と似たペースです。
夜中に一回か二回起きてトイレに連れて行くのが当時の私の日課でした。
娘が赤ちゃんだった時、幼児だった頃を思い出して、人間の子を面倒見るのと同じだなと思ったものでした。
チーコは、キャバリエ・キングチャールズ・スパニエルと言う種類の犬です。
人間の子供が大好きで、とても人懐っこいので、子供のいる家庭に適する種とのことです。
実際その通りで、娘ともとても仲良く、いつも一緒にいました。
見た目は上品な感じなのですが、おてんばで活発で、とても賢い娘でした。
色々なこと、物、動物にも興味が興味があって、鹿を見つけて家を飛び出して、追いかけて、逃げていた鹿達が子鹿を守るために雌鹿の反撃にあったこともあります。(走って追いかけて行って目撃しました。)

雄犬から凄く注目を集めるようで、散歩に連れて行くと、雄犬はチーコの気を引きたがるような素振りをしたり、吠えたりします。時には悲鳴のような声を上げられたこともあります。
近所の猫からも興味(好意)を持たれ、散歩に出かける前に嬉しくなって、吠えると猫が家の前までやってきて、チーコが出てくるのを待っています。

その一方で、逆に雌犬からは嫌われることが多く、散歩途中にすれ違いざまに襲われたりしたことがありました。
そのため、散歩をしていても、前から知らない犬が来ると、傍に避けたり、私が抱きかかえていたりしました。
外見はゴージャス系なのですが、とても活発なので、一緒に良く走ったりしていました。
時折、すれ違う人から、「そんなにこの犬を走らせたりして大丈夫なの?」と心配げに聞かれたこともあります。
大人になっても、おてんばなのは変わらず、10歳を過ぎても散歩で出会う人から、「パピー(子犬)だ!」と声をかけられることが良くありました。
しかし、昨年から急激に年老いた感じになり、活発さはほとんどなくなってしまいました。
犬の寿命は人間より短いので、基本的には先立たれることを覚悟した上で、犬を飼うことになります。
私もそのことは十分承知の上でしたが、あと数年は生きてくれるだろうと思っていました。
今年の元旦には、味付け前の炒った田作りをおせち料理として食べさせて、「いつまでも元気でパパのそばにいてね。」と新年の挨拶をしたばかりでした。
田作りもあっという間に元気よく食べてくれました。
年老いたとはいえ、毎日家の階段を上ったり下りたりも問題なくできていました。
最近のチーコは、1日のほとんどの間は、眠っているのですが、普段であれば、食事の匂いがすると起きて、こちらにやってきます。
5日の朝、私が起きて朝食を作って食べ始めても、起きてこないので心配になって様子を見に行きました。
チーコは眠っていました。少し元気がなさそうな気がして、心配だったので、抱きかかえて二階の私の机の後ろにあるいつも私が机に向かっている間、寝ているブース(ベッドのようなもの)に寝かしました。
昼が近くなってきて、そろそろ起こして食事をさせようかなと思いも考えながら、パソコンに向かって集中していた時、突然「ワン!」と吠えました。
振り返ってみると、チーコが立ち上がっていました。
私に用事があるときは、すり鳴きのような声を出したり、ゴソゴソすると私が気付いて面倒見てくれるのが分かっているので、ここしばらく吠えたりすることはありませんでした。
立ち上がっているチーコを見て、「起きたの?」と言いながら、様子が少しおかしいと思い、抱き上げて、外に連れて行って、おしっこをさせました。
ところがいつもと様子が違い、おしっこをするのがやっとな感じでした。普段はウンチもするのですが、心配なので抱っこして家に戻りました。
トイレの後は、食事なのですが、まず、水を飲ませました。水は普通に飲みました。
食欲があるか確認するため手渡しでドッグフードを3粒あげました。食べたのですが、やはり様子がおかしいと思い、とりあえず様子をみようと思い、私のベッドの横にあるもう一つのブースを2階に持ってきて、私の隣に寝かしました。
すぐに寝だしたのですが、しばらくして痙攣・発作のようなものを起こし始めました。抱き上げたのですが、痙攣はしばらく続きました。
とても心配で抱いていると、発作は治まりました。しかし、目は見開いた状態でした。
とにかく少し様子を見ようと思い、ブースに寝かしました。しかし、やはり気になるので、私の膝の上に乗せたりしてみました。
どちらがチーコに楽か考えて、何回か繰り返したのですが、私の膝の上に置いて、抱きかかえていることにしました。
車に乗っている時に、チーコがいつも私の膝の上で寝る時と同じ感じに私の腕が顎の上に乗るようにしました。
しばらくすると落ち着いてきたようで、すぅすぅと寝息を立てて眠り始めました。目も閉じて気持ちよさげな感じで寝ていました。
良かったと思い、少し安心して、チーコを膝に乗せ、顎を腕に乗せた状態で、パソコンのメールを始めました。
チーコは気持ちよさそうに寝ています。新年の挨拶がまだだった知り合いにメールを書いていました。
すると突然、チーコが足を数度バタバタと動かしました。そして、その後、動かなくなりました。
胸に耳を当ててみると、今までしていた心臓の音がほとんど聞こえません。
慌てて心臓マッサージをしましたが、蘇生しませんでした。
チーコが息を引き取ってしまいました。
どんな時でも、いつも私のそばにいてくれたチーコ。13年以上続いていたチーコと一緒の生活が突然終わってしまいました。
生きてきて、これほど辛い、悲しいと思ったことはありませんでした。
最初の一週間は、チーコと一緒の普段の生活ではない違和感・空虚感・孤独感が常にありました。
これまでの私の生活の中に常にチーコの存在がありました。
朝起きたら、トイレ。その後、食事とお水。自分の食事の時は、足元や私の周りにいつもチーコがいました。机に向かっている時、後ろでいつも寝ています。
食事を作ったり、お風呂に入ったりする時も、その前にチーコをトイレに連れて行ったり、少し食べさしたりして、落ち着かせてから、自分の食事を取ったり、お風呂に入っていました。
自分の生活・行動の中で常にチーコのことが頭にあるのが当たり前の生活でした。
チーコのいない日常生活を過ごす空虚感、寂しさが常に自分を襲ってきました。
少しでもチーコのことが頭に浮かぶと涙が出てきてきました。今、この記事を書いていてもそうです。
それでもさすがに10日経つと、精神的には多少安定してきた感じがします。
これまで、チーコの面倒を見ていた時間は、チーコが私にくれた時間だと思っています。
チーコがくれた時間を大切に使いたい、有効に使いたいと思っているのですが、まだ力が入らない時が多いです。
チーコはこれからも私の心の中で生き続けます。
We will be together forever. I Love you so much.

私にとって、このブログはブログやサイトの運営の原点です。そして、自分の考えが込められた記事も投稿しているブログです。
このブログだけは、何事もなかったかのように投稿、再開することは自分にはできません。
再開する前段階として、私の愛する娘(犬)のことを、今日は書かせていただきます。
人は皆、生きている間には、一生忘れることができない出来事を経験します。
2016年1月5日が、私にとって忘れることができない日となりました。
私には、一人の人間の娘ともう一人(一匹)の犬の娘がいます。早いもので、昨年、上の娘は18才になりました。下の娘の名前は、チーコと言います。
チーコが我が家に来たのは、生後7週間後の時です。生後7週間の犬は歩けますが、手間のかかるところは、人間の赤ちゃんと変わりありません。
家に来たばかりの時は、両手のひらくらいの大きさでした。本当に小ちゃかったです。
4時間おき位にトイレに行かせる必要があります。人間の赤ん坊と似たペースです。
夜中に一回か二回起きてトイレに連れて行くのが当時の私の日課でした。
娘が赤ちゃんだった時、幼児だった頃を思い出して、人間の子を面倒見るのと同じだなと思ったものでした。
チーコは、キャバリエ・キングチャールズ・スパニエルと言う種類の犬です。
人間の子供が大好きで、とても人懐っこいので、子供のいる家庭に適する種とのことです。
実際その通りで、娘ともとても仲良く、いつも一緒にいました。
見た目は上品な感じなのですが、おてんばで活発で、とても賢い娘でした。
色々なこと、物、動物にも興味が興味があって、鹿を見つけて家を飛び出して、追いかけて、逃げていた鹿達が子鹿を守るために雌鹿の反撃にあったこともあります。(走って追いかけて行って目撃しました。)

雄犬から凄く注目を集めるようで、散歩に連れて行くと、雄犬はチーコの気を引きたがるような素振りをしたり、吠えたりします。時には悲鳴のような声を上げられたこともあります。
近所の猫からも興味(好意)を持たれ、散歩に出かける前に嬉しくなって、吠えると猫が家の前までやってきて、チーコが出てくるのを待っています。

その一方で、逆に雌犬からは嫌われることが多く、散歩途中にすれ違いざまに襲われたりしたことがありました。
そのため、散歩をしていても、前から知らない犬が来ると、傍に避けたり、私が抱きかかえていたりしました。
外見はゴージャス系なのですが、とても活発なので、一緒に良く走ったりしていました。
時折、すれ違う人から、「そんなにこの犬を走らせたりして大丈夫なの?」と心配げに聞かれたこともあります。
大人になっても、おてんばなのは変わらず、10歳を過ぎても散歩で出会う人から、「パピー(子犬)だ!」と声をかけられることが良くありました。
しかし、昨年から急激に年老いた感じになり、活発さはほとんどなくなってしまいました。
犬の寿命は人間より短いので、基本的には先立たれることを覚悟した上で、犬を飼うことになります。
私もそのことは十分承知の上でしたが、あと数年は生きてくれるだろうと思っていました。
今年の元旦には、味付け前の炒った田作りをおせち料理として食べさせて、「いつまでも元気でパパのそばにいてね。」と新年の挨拶をしたばかりでした。
田作りもあっという間に元気よく食べてくれました。
年老いたとはいえ、毎日家の階段を上ったり下りたりも問題なくできていました。
最近のチーコは、1日のほとんどの間は、眠っているのですが、普段であれば、食事の匂いがすると起きて、こちらにやってきます。
5日の朝、私が起きて朝食を作って食べ始めても、起きてこないので心配になって様子を見に行きました。
チーコは眠っていました。少し元気がなさそうな気がして、心配だったので、抱きかかえて二階の私の机の後ろにあるいつも私が机に向かっている間、寝ているブース(ベッドのようなもの)に寝かしました。
昼が近くなってきて、そろそろ起こして食事をさせようかなと思いも考えながら、パソコンに向かって集中していた時、突然「ワン!」と吠えました。
振り返ってみると、チーコが立ち上がっていました。
私に用事があるときは、すり鳴きのような声を出したり、ゴソゴソすると私が気付いて面倒見てくれるのが分かっているので、ここしばらく吠えたりすることはありませんでした。
立ち上がっているチーコを見て、「起きたの?」と言いながら、様子が少しおかしいと思い、抱き上げて、外に連れて行って、おしっこをさせました。
ところがいつもと様子が違い、おしっこをするのがやっとな感じでした。普段はウンチもするのですが、心配なので抱っこして家に戻りました。
トイレの後は、食事なのですが、まず、水を飲ませました。水は普通に飲みました。
食欲があるか確認するため手渡しでドッグフードを3粒あげました。食べたのですが、やはり様子がおかしいと思い、とりあえず様子をみようと思い、私のベッドの横にあるもう一つのブースを2階に持ってきて、私の隣に寝かしました。
すぐに寝だしたのですが、しばらくして痙攣・発作のようなものを起こし始めました。抱き上げたのですが、痙攣はしばらく続きました。
とても心配で抱いていると、発作は治まりました。しかし、目は見開いた状態でした。
とにかく少し様子を見ようと思い、ブースに寝かしました。しかし、やはり気になるので、私の膝の上に乗せたりしてみました。
どちらがチーコに楽か考えて、何回か繰り返したのですが、私の膝の上に置いて、抱きかかえていることにしました。
車に乗っている時に、チーコがいつも私の膝の上で寝る時と同じ感じに私の腕が顎の上に乗るようにしました。
しばらくすると落ち着いてきたようで、すぅすぅと寝息を立てて眠り始めました。目も閉じて気持ちよさげな感じで寝ていました。
良かったと思い、少し安心して、チーコを膝に乗せ、顎を腕に乗せた状態で、パソコンのメールを始めました。
チーコは気持ちよさそうに寝ています。新年の挨拶がまだだった知り合いにメールを書いていました。
すると突然、チーコが足を数度バタバタと動かしました。そして、その後、動かなくなりました。
胸に耳を当ててみると、今までしていた心臓の音がほとんど聞こえません。
慌てて心臓マッサージをしましたが、蘇生しませんでした。
チーコが息を引き取ってしまいました。
どんな時でも、いつも私のそばにいてくれたチーコ。13年以上続いていたチーコと一緒の生活が突然終わってしまいました。
生きてきて、これほど辛い、悲しいと思ったことはありませんでした。
最初の一週間は、チーコと一緒の普段の生活ではない違和感・空虚感・孤独感が常にありました。
これまでの私の生活の中に常にチーコの存在がありました。
朝起きたら、トイレ。その後、食事とお水。自分の食事の時は、足元や私の周りにいつもチーコがいました。机に向かっている時、後ろでいつも寝ています。
食事を作ったり、お風呂に入ったりする時も、その前にチーコをトイレに連れて行ったり、少し食べさしたりして、落ち着かせてから、自分の食事を取ったり、お風呂に入っていました。
自分の生活・行動の中で常にチーコのことが頭にあるのが当たり前の生活でした。
チーコのいない日常生活を過ごす空虚感、寂しさが常に自分を襲ってきました。
少しでもチーコのことが頭に浮かぶと涙が出てきてきました。今、この記事を書いていてもそうです。
それでもさすがに10日経つと、精神的には多少安定してきた感じがします。
これまで、チーコの面倒を見ていた時間は、チーコが私にくれた時間だと思っています。
チーコがくれた時間を大切に使いたい、有効に使いたいと思っているのですが、まだ力が入らない時が多いです。
チーコはこれからも私の心の中で生き続けます。
We will be together forever. I Love you so much.

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