Levi's As America: A Riveting Iconのフィルムパート4の内容を紹介します。
時代は60年代になり、ロックンロールが進化し、広まっていきます。それは新しい意味をジーンズに与えます。
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ボブディランは、新しいタイプのミュージシャンで、メッセージを持つ作詞作曲家でした。(メッセージを持つシンガーソングライター)
1965年にハリウッドボールで行われたボブディランのコンサートに参加した観客の少なくとも一人は(次に登場するCountry Joe MacDonaldさんのこと)、ボブディランがジーンズを穿いて演奏していることに、大きなショックを受けました。
当時のことを語るCountry Joe MacDonaldさん(60年代に活躍したサイケデリック・ロックのバンド、Country Joe and the Fishのリードシンガー)
ジーンズを穿いてステージに立つボブディランを見て、これは常識を覆すファッションステートメント(主張)だ!とコメントしています。
パフォーマーが、それまでのようにカスタムの衣装を身につけるのでなく、ジーンズを穿くことは、ステートメント(主張)でした。
音楽はライフスタイルに進化していきました。そして、(音楽、パフォーマーの)メッセージは、演技ではなく、本当の姿である。と信じられるものでなければなりません。(ロック評論家の談話)
ディランの歌やメッセージは、当時の世相や若者の考えを表していました。
既存の体制、社会に対する若者の反発は大きな波となります。
ベトナム戦争反対、公民権運動の盛り上がりの中、1963年、ワシントン大行進が行われました。
ここで、このドキュメンタリーフィルムが放送された当時のリーバイストラウス社CEOも、ワシントン大行進に参加しています。と紹介があり、Marineau氏が登場し、その時の話をします。
「私の(ワシントン大行進に参加した)最大の目的は、そこで女の子と出会って、楽しいひと時を過ごすためでした。」
コメント: スタイルなのでしょうが、軽いなというのが私の印象です。この番組の中で唯一登場して発言したのが上記のコメントです。
Marineau氏は、1999年にペプシCEOからリーバイスCEOとなり、2006年までリーバイストラウス社を経営しました。ご存知の通り、その間にリーバイス社の米国内の工場を全て閉鎖するリストラを行っています。
結果論であり、当時のリーバイスの状況を考えると仕方のない決断だったのかと思いますが、この人が伝統のバレンシア工場をも閉鎖する決断をしたのかと思うと複雑な気持ちです。
上のコメントの後で、「皆、リーバイスが大好きだったことを覚えています。周りじゅうの服がリーバイスだった感じです。」と語っています。(登場するのはこの時だけです)
Country Joe MacDonaldさんが再び登場し、反体制運動の若者たちにとって、ジーンズは快適であり、実用的な衣類でもありました。とコメントしています。
そして、新しいタイプの反抗、ヒッピーが誕生します。ヒッピーたちも、リーバイスがお気に入りでした。
ヒッピーはサンフランシスコが発祥の地であり、サンフランシスコ文化との関わりが深いため、(ヒッピーがリーバイスを好んで着るようになって)真の若者文化となったことは、恐らく、リーバイスの歴史の中で最も幸運な変革の一つだと思います。
ジーンズは、リーバイス。リーバイスは、サンフランシスコ。
これは非常に的を得た指摘だと思います。60年代から70年代の変革期、時代の潮流にリーバイスは見事に乗りました。長年の競合相手だったH.D. Leeは、時代の流れ、嗜好の変化にうまく乗ることができませんでした。
関連ブログ記事:
明暗を分けた60年代から70年代にかけてのLeeとリーバイス
70年代に入り、ジーンズは若者のユニフォームとして定着しました。そして、ジーンズは個性や自由を主張するパレットとなりました。
このトレンドをリーバイスは支持し、リーバイス・デニム・アートコンテストを開催しました。
当時のコンテストに入賞しリーバイス・アーカイブに保管されていると思われるジョージアの若者が作成したジーンズを、Downeysさんが紹介しています。
テレビが普及し、リーバイスを含め、各社、テレビコマーシャルに力を入れるようになりました。
シーンは大きく変わって、ローズボールのフリーマーケットとなります。
ローズボールのフリーマーケットは、ヴィンテージ品の取引で世界的に有名です。
シーンは70年代の話へと移行します。下は、ニクソンがウォーターゲート事件で大統領を辞任すると発表した当時の新聞の一面記事です。(70年代を象徴する出来事の一つです。)
サタデーナイトフィーバーによって、ディスコが流行となりました。
そして、デザイナージーンズが登場します。ジーンズは依然として先端の流行の一つであることを示してもいました。
70年代女性の社会的な地位、意識も大きな変化が起きます。女性はジーンズを穿くことで、強さを認知するようになります。
1970年代の女性の意識の変化は、ジーンズの普及に非常に重要な役割を果たしました。パンツ全般が女性に飛躍的に普及しました。
そして、ジミーカーター大統領は、ジーンズを着用した姿で公に登場し、ジーンズは米国大統領も穿くものであることを示しました。
そして、そのことは、カジュアルワークプレイスの衣料となる(カジュアルな仕事着)ことの動きを示してもいました。
ジミーカーターは、ジーンズを含むカジュアルな普段着を着ている姿をメディアに撮影させることを認めていました。
彼は、それが前向きに受け止められることをわかっていたからだと思います。
世界中が変わっていく中で、リーバイスも広告のスタイルを変えていきました。
1981年に放送されたリーバイスのコマーシャルで非常に有名なトラビスと言うコマーシャルの話も登場します。
80年代、レーガン大統領の時代にアメリカは繁栄を謳歌します。
カルバンクラインジーンズも時代の潮流にのって、ブルックシールズが登場するジーンズのコマーシャルで注目を集めます。
デザイナージーンズが大流行となります。デザイナージーンズを穿くことがスタイルとして流行します。
ジーンズはセクシーであるという認識が社会に広がります。
次で終わります。
関連ブログ記事:
デニムの歴史 70年代、80年代、そして今
ジーンズ全般とリーバイスの年代ごとの出来事や動向
時代は60年代になり、ロックンロールが進化し、広まっていきます。それは新しい意味をジーンズに与えます。
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ボブディランは、新しいタイプのミュージシャンで、メッセージを持つ作詞作曲家でした。(メッセージを持つシンガーソングライター)
当時のことを語るCountry Joe MacDonaldさん(60年代に活躍したサイケデリック・ロックのバンド、Country Joe and the Fishのリードシンガー)
ジーンズを穿いてステージに立つボブディランを見て、これは常識を覆すファッションステートメント(主張)だ!とコメントしています。
パフォーマーが、それまでのようにカスタムの衣装を身につけるのでなく、ジーンズを穿くことは、ステートメント(主張)でした。
音楽はライフスタイルに進化していきました。そして、(音楽、パフォーマーの)メッセージは、演技ではなく、本当の姿である。と信じられるものでなければなりません。(ロック評論家の談話)
ディランの歌やメッセージは、当時の世相や若者の考えを表していました。
既存の体制、社会に対する若者の反発は大きな波となります。
ベトナム戦争反対、公民権運動の盛り上がりの中、1963年、ワシントン大行進が行われました。
ここで、このドキュメンタリーフィルムが放送された当時のリーバイストラウス社CEOも、ワシントン大行進に参加しています。と紹介があり、Marineau氏が登場し、その時の話をします。
「私の(ワシントン大行進に参加した)最大の目的は、そこで女の子と出会って、楽しいひと時を過ごすためでした。」
コメント: スタイルなのでしょうが、軽いなというのが私の印象です。この番組の中で唯一登場して発言したのが上記のコメントです。
Marineau氏は、1999年にペプシCEOからリーバイスCEOとなり、2006年までリーバイストラウス社を経営しました。ご存知の通り、その間にリーバイス社の米国内の工場を全て閉鎖するリストラを行っています。
結果論であり、当時のリーバイスの状況を考えると仕方のない決断だったのかと思いますが、この人が伝統のバレンシア工場をも閉鎖する決断をしたのかと思うと複雑な気持ちです。
上のコメントの後で、「皆、リーバイスが大好きだったことを覚えています。周りじゅうの服がリーバイスだった感じです。」と語っています。(登場するのはこの時だけです)
Country Joe MacDonaldさんが再び登場し、反体制運動の若者たちにとって、ジーンズは快適であり、実用的な衣類でもありました。とコメントしています。
そして、新しいタイプの反抗、ヒッピーが誕生します。ヒッピーたちも、リーバイスがお気に入りでした。
ヒッピーはサンフランシスコが発祥の地であり、サンフランシスコ文化との関わりが深いため、(ヒッピーがリーバイスを好んで着るようになって)真の若者文化となったことは、恐らく、リーバイスの歴史の中で最も幸運な変革の一つだと思います。
ジーンズは、リーバイス。リーバイスは、サンフランシスコ。
これは非常に的を得た指摘だと思います。60年代から70年代の変革期、時代の潮流にリーバイスは見事に乗りました。長年の競合相手だったH.D. Leeは、時代の流れ、嗜好の変化にうまく乗ることができませんでした。
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明暗を分けた60年代から70年代にかけてのLeeとリーバイス
70年代に入り、ジーンズは若者のユニフォームとして定着しました。そして、ジーンズは個性や自由を主張するパレットとなりました。
このトレンドをリーバイスは支持し、リーバイス・デニム・アートコンテストを開催しました。
当時のコンテストに入賞しリーバイス・アーカイブに保管されていると思われるジョージアの若者が作成したジーンズを、Downeysさんが紹介しています。
テレビが普及し、リーバイスを含め、各社、テレビコマーシャルに力を入れるようになりました。
シーンは大きく変わって、ローズボールのフリーマーケットとなります。
ローズボールのフリーマーケットは、ヴィンテージ品の取引で世界的に有名です。
シーンは70年代の話へと移行します。下は、ニクソンがウォーターゲート事件で大統領を辞任すると発表した当時の新聞の一面記事です。(70年代を象徴する出来事の一つです。)
サタデーナイトフィーバーによって、ディスコが流行となりました。
そして、デザイナージーンズが登場します。ジーンズは依然として先端の流行の一つであることを示してもいました。
70年代女性の社会的な地位、意識も大きな変化が起きます。女性はジーンズを穿くことで、強さを認知するようになります。
1970年代の女性の意識の変化は、ジーンズの普及に非常に重要な役割を果たしました。パンツ全般が女性に飛躍的に普及しました。
そして、ジミーカーター大統領は、ジーンズを着用した姿で公に登場し、ジーンズは米国大統領も穿くものであることを示しました。
そして、そのことは、カジュアルワークプレイスの衣料となる(カジュアルな仕事着)ことの動きを示してもいました。
ジミーカーターは、ジーンズを含むカジュアルな普段着を着ている姿をメディアに撮影させることを認めていました。
彼は、それが前向きに受け止められることをわかっていたからだと思います。
世界中が変わっていく中で、リーバイスも広告のスタイルを変えていきました。
1981年に放送されたリーバイスのコマーシャルで非常に有名なトラビスと言うコマーシャルの話も登場します。
80年代、レーガン大統領の時代にアメリカは繁栄を謳歌します。
カルバンクラインジーンズも時代の潮流にのって、ブルックシールズが登場するジーンズのコマーシャルで注目を集めます。
デザイナージーンズが大流行となります。デザイナージーンズを穿くことがスタイルとして流行します。
ジーンズはセクシーであるという認識が社会に広がります。
次で終わります。
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