501 Blues 誕生の背景
第二次世界大戦後、社会が大きく変わり、人々の暮らし、文化も大きな変化が起こりました。
西海岸の労働者達が着用するワークウェアだったジーンズは、50年代はオートバイに乗った若者達の象徴となりました。
60年代、ジーンズは若者を中心として沸き起こったカウンターカルチャーのユニフォームとなりほぼ全ての若者達のファッションアイテムとなりました。
ジーンズは、60年代前半までに全米の若者に普及し、60年代後半からは世界中の若者の衣類として広がり始めました。
70年代に大きなムーブメントとなったヒッピーは、サンフランシスコが発祥の地です。サンフランシスコと歴史的、文化的に結び付きの強いリーバイスの衣料品は、ヒッビーの若者達からも支持されました。
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- ##hand-o-right## 備考
- リーバイスのライバルだったLeeは、60年代から70年代の変化の波に上手く乗ることができずに、低迷しました。特に70年代のヒッピー文化の流行に対応できなかったのが致命的だったと思います。Leeは歴史的に東海岸が強く、西海岸では弱いブランドでした。ヒッピー文化がリーバイスとLeeの明暗を分けたのではと考えています。
60年代から70年代にかけての社会、若者文化の変革期の巨大な波にリーバイスは上手く乗り、1964年から1975年の間に、売り上げは1億ドルから10億ドル、10倍となる大成功を遂げました。
戦後の社会と若者文化の変化と同期しながら、50年代から70年代まで急激な成長を遂げたリーバイスでしたが、80年代に入ると勢いが失われ、1980年から1984年まで売り上げは下落しました。
70年代リーバイスは、ラインを拡大し、雨具やスーツまで製造、販売するようになっていました。80年代に入って新しい時代となり、人々の嗜好の変化に上手く対応できていなかったことが、低迷の原因ではないかと思われます。
1984年に創業者リーバイストラウスの甥のひ孫であり、ベービーブーマーのRobert D. Haasが、CEOに就任しました。Haasは、広げすぎた製品ラインを絞り、会社のマーケティングを原点であるジーンズと西部文化とカウンターカルチャーの結び付きに立ち戻って注力すべきと考えました。
そして、Hassは、地元サンフランシスコのクリエーティブな宣伝家として知られるMichael Koelkerに501のコマーシャルの制作を依頼しました。
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- ##hand-o-right## 備考
- Koelker氏は、60年代からリーバイスのクリエーティブディレクターを担当し、宣伝を請け負っていたようですが、新しいCEOからの直々の、ある意味社運をかけた特別な依頼だったと思います。
501 Blues
Koelker氏は、"501 Blues"という名のキャンペーンを行うことを考案しました。そして”501 Blues”と呼ばれるコマーシャルを制作しました。
501 Bluesは、1984年のロスアンジェルスオリンピックのコマーシャルで放送されました。
このコマーシャルは、当時見た人の心に強く残ったようです。「自分の人生で最も好きなCMだ」とコメントしている人もいます。
「この歌が心から離れない」とのコメントも見たことがあります。
このビデオを投稿した人も以下のようなメッセージを添えています。
「なぜだか分からないけど、1984年に見たこのCMが頭から離れない。忘れることができない。チューンでもなく、言葉でもない。でも、また観れてうれしい。」(少し意訳になっています)
"501 Blues"のCMは、アメリカのどこにでもあるような街の道路で、どこにでもいるような4人の普通の若者がア・カペラ(イタリア語 : a cappella: ここでの意味は無伴奏で合唱の意)で歌うシンプルな構成です。
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1984年ロス五輪 リーバイスCM |
このCMの意図・目的について、Koelker氏は以下のように述べています。
"What we were trying to say with the `501 Blues' was, whoever you are, you're OK. It doesn't matter if you're black or white, or thin or fat, or athletic or in a wheelchair. You're OK." , Mr. Koelker later wrote.FCB'S KOELKER LEAVES SOLID LEGACY, AdvertisingAge訳:
'501 Blues'で我々が伝えようとしたことは、あなたが誰でも、OKです。黒人でも白人でも、痩せていても太っていても、アスリートでも車椅子に乗っていても構わない。あなたは(リーバイスを穿いて)OKです。”とKoelker氏は後に綴っています。
(訳終わり)
アメリカは移民の国なので、様々な人種がいます。個性が重視される文化です。ファッションは流行がありますが、自分なりの着こなしをする人が多いです。
このCMによってリーバイス501の知名度は飛躍的に上昇し、人々に知られるようになりました。Koelker氏の"501 Blues"キャンペーンは、1988年までの4年間続けれ、続きのキャンペーンCMも放送されました。
リーバイスの売り上げは1984年から急回復し、売り上げ、利益はその後12年連続で上昇することになります。
Koelker氏は、”501 Blues”を制作したことで広告業界のレジェンドとなりました。彼の手がけた”501 Blues"のCMもレガシー(伝説)として認知されています。
Bluesは、元の意味であるブルースとデニムのインディゴ・ブルー、ブルージーンズをかけた素晴らしいネーミングだと思います。
CMも飾ったり奇をてらったところはなく、オーソドックスな形式です。リーバイス501は、伝統的な特徴を継承し、飾ることのない普遍なスタンダードのストレートシルエット、オーソドックスなジーンズです。
CMから感じられる形式・印象は、リーバイス501と相通じるものがあると思います。
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- ##hand-o-right## 備考
- 80年代から90年代のリーバイスコマーシャルは、芸術性が高いものが多いです。スタイル・内容はバラエティーに富んでいます。
関連ブログ記事:
1980年から4年続いて業績が下落しスランプ状態だったリーバイスは、1984年から急回復します。"501 Blues"もリーバイス復活のきっかけとなる1つの象徴的な取り組みの一つだと思います。
[1980年代はリーバイスにとって大きな変革期だった ##link##]
リーバイスのドキュメンタリーフィルム"Levi's As America: A Riveting Icon"の後半で、80年代のリーバイスコマーシャルについての話が登場します。
[##check## Levi's As America: A Riveting Icon パート5]
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