501の歴史は、リーバイスの歴史でもあります。前回の記事、リーバイス 501の歴史からの続きです。
1906年: サンフランシスコの地震と火災によって、リーバイスの本社ビルと工場は倒壊・焼失してしまいます。
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以下は、Wikipediaのサンフランシスコ大地震についての説明の部分要訳です。
地震が発生したのは1906年4月18日、午前5時12分。地震の規模は、現代の指針で推定マグニチュード7.8でした。(説としては色々あり、範囲は7.7から8.25です)地震が起因となり、火災が発生します。
水の供給もダメージを受けていたため、消火活動は困難な状況の中、一部の消防士はダイナマイトを使用して建物を破壊することで火災を鎮静化しようとします。しかし、ダイナマイトによって火災は悪化し、さらに広がってしまったそうです。
火災が鎮静化するまでに3日間かかりました。9割の建物の倒壊は、火災によるものだとされています。
下の写真は1880年代のリーバイス本社ビルです。
冒頭の写真、地震前のリーバイス本社写真は、Lynn Downeyさんが書かれたリーバイス歴史本"Images of America LEVI STRAUSS & Co."の表紙にも使われています。

とても興味深い内容です。多数の貴重な写真が載っています。創業から現代までのリーバイスの歩みを、販促品や他の写真を中心に説明を加えて紹介しています。501等の製品についての話はあまりありません。詳しくは、以下の記事をご覧ください。
関連ブログ記事:
[リーバイスの歴史本:”Images of America LEVI STRAUSS & Co.” ##link##]
リーバイストラウスから会社を引き継いだ甥達、Stern 4兄弟は、力を合わせて地震後の会社の復興に貢献しました。サンフランシスコのバレンシアストリート250番に新しい工場を建設し、11月に工場は稼働開始しました。
下の写真は有名なリーバイス バレンシア工場です。
1910年代: この年代のどこかで、インシームの縫い方が変わり伏せ縫いになりました。(インシームの通称シングルステッチの縫い方)それまでのインシームは模擬の伏せ縫いでした。
1915年: リーバイスのオーバーオールは、サンフランシスコで開催されたパナマパシフィック・インターナショナル・エクスポジションにおいて、最優秀賞を受賞しました。
リーバイスは、ノールカロライナ州のコーンミルズからデニムの購入を開始します。
1922年:ベルトループがオーバーオールに加えられます。しかし、サスペンダーボタンは、残されました。
シンチは、依然としてパンツ(オーバーオール)に使われていましたが、人によってはベルトを使ってオーバーオールを着用するために切り取っていました。
ベルトループの追加は、メンズファッションの変化に対応するものであり、我々は消費者が望んでいることを理解していることを示すものです。
リーバイスは、この年からデニムの調達はコーンミルズのみになります。
アモスケーグは、18世紀から19世紀にかけて非常に栄えた巨大企業です。
20世紀に入ってから、デニム生地市場ではコーンミルズが台頭するようになります。
リーバイスがコーンミルズのデニムの使用を開始しても、一気に切り替えるのではなく、アモスケーグからも継続して調達していたことになります。
1920年代始めになるとアモスケーグは急速に凋落していきます。1922年に、リーバイスがコーンミルズにデニムの調達を一本化したことはアモスケーグの凋落を象徴していると思います。アモスケーグは1935年に倒産しました。
c1927 (1927年頃): コーンミルズは、501専用の10オンスの赤耳デニムを開発します。このデニムは、29インチ幅の織り機で生産されています。
続きは以下の記事になります。(2017年5月23日以降、順次、501の歴史の記事を見直し、更新する予定です。)
[501の歴史 3: レッドタブ誕生から戦後の501モデルチェンジまで ##link##]
1906年: サンフランシスコの地震と火災によって、リーバイスの本社ビルと工場は倒壊・焼失してしまいます。
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1906年以前のリーバイス本社ビルと社員 |
サンフランシスコ大地震
以下は、Wikipediaのサンフランシスコ大地震についての説明の部分要訳です。
地震が発生したのは1906年4月18日、午前5時12分。地震の規模は、現代の指針で推定マグニチュード7.8でした。(説としては色々あり、範囲は7.7から8.25です)地震が起因となり、火災が発生します。
水の供給もダメージを受けていたため、消火活動は困難な状況の中、一部の消防士はダイナマイトを使用して建物を破壊することで火災を鎮静化しようとします。しかし、ダイナマイトによって火災は悪化し、さらに広がってしまったそうです。
火災が鎮静化するまでに3日間かかりました。9割の建物の倒壊は、火災によるものだとされています。
下の写真は1880年代のリーバイス本社ビルです。
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LS&Co. 1880s, Photo: Jewish Museum of the American West |
とても興味深い内容です。多数の貴重な写真が載っています。創業から現代までのリーバイスの歩みを、販促品や他の写真を中心に説明を加えて紹介しています。501等の製品についての話はあまりありません。詳しくは、以下の記事をご覧ください。
関連ブログ記事:
[リーバイスの歴史本:”Images of America LEVI STRAUSS & Co.” ##link##]
サンフランシスコ大地震後のリーバイス
リーバイストラウスから会社を引き継いだ甥達、Stern 4兄弟は、力を合わせて地震後の会社の復興に貢献しました。サンフランシスコのバレンシアストリート250番に新しい工場を建設し、11月に工場は稼働開始しました。
下の写真は有名なリーバイス バレンシア工場です。
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Photo: Chris Carlsson, FoundSF |
1910年代: この年代のどこかで、インシームの縫い方が変わり伏せ縫いになりました。(インシームの通称シングルステッチの縫い方)それまでのインシームは模擬の伏せ縫いでした。
1915年: リーバイスのオーバーオールは、サンフランシスコで開催されたパナマパシフィック・インターナショナル・エクスポジションにおいて、最優秀賞を受賞しました。
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1915年のPPIEのポストカード, Photo: Wikipedia |
- [message]
- ##hand-o-right## 備考
- 2015年は、リーバイスがコーンミルズ・デニムの調達を開始してから100周年です。
1922年:ベルトループがオーバーオールに加えられます。しかし、サスペンダーボタンは、残されました。
シンチは、依然としてパンツ(オーバーオール)に使われていましたが、人によってはベルトを使ってオーバーオールを着用するために切り取っていました。
ベルトループの追加は、メンズファッションの変化に対応するものであり、我々は消費者が望んでいることを理解していることを示すものです。
リーバイスは、この年からデニムの調達はコーンミルズのみになります。
- [message]
- ##hand-o-right## 備考
- リーバイスがジーンズ(オーバーオールズ)を初めて世に送り出した頃は、アモスケーグのデニムが最上級のデニムとして認知されていました。
アモスケーグは、18世紀から19世紀にかけて非常に栄えた巨大企業です。
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アモスケーグ・マニュファクチャリング社, Photo: Wikipedia |
リーバイスがコーンミルズのデニムの使用を開始しても、一気に切り替えるのではなく、アモスケーグからも継続して調達していたことになります。
1920年代始めになるとアモスケーグは急速に凋落していきます。1922年に、リーバイスがコーンミルズにデニムの調達を一本化したことはアモスケーグの凋落を象徴していると思います。アモスケーグは1935年に倒産しました。
c1927 (1927年頃): コーンミルズは、501専用の10オンスの赤耳デニムを開発します。このデニムは、29インチ幅の織り機で生産されています。
続きは以下の記事になります。(2017年5月23日以降、順次、501の歴史の記事を見直し、更新する予定です。)
[501の歴史 3: レッドタブ誕生から戦後の501モデルチェンジまで ##link##]
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