ネバダ州レノのテイラー(仕立て屋)を営んでいたJacob Davisが、1872年にリーバイストラウスに宛てた手紙を以下の記事で紹介しました。
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大きな意味をもたらしたジェイコブ・デイビスの手紙
当時、リーバイ・ストラウスは、服の製造・販売ではなく、雑貨の卸売業を営んでいました。デービスからリーバイストラウスが手紙を受け取らなければ、リーバイストラウスはジーンズの製造を始めることはなかったかもしれません。
リーバイ・ストラウスがデービスの提案を承諾しなければ、今日とは全く違う会社になっていたと思います。あるいは、現代に至るまでの道のりの途中で、会社は社会から姿を消してしまっていた可能性もあります。
デイビスが手紙を送らなければ、ジーンズの原点である501は誕生せず、ジーンズ・デニムパンツは今日ある姿とは違っている可能性が高いです。ジーンズは、アメリカ文化の象徴であり、第二次世界大戦後、世界中に幅広く普及し、市場に定着しています。
ジェイコブデービスの手紙は、歴史的にも非常に大きな意味を持ちます。手紙の内容も非常に興味深い点がいろいろあります。
以下に手紙に記載されている内容における着目点と考察を行います。
ジェイコブデービスの手紙の内容の真贋
手紙の内容は、ジェイコブデービスの子孫が経営するBen Davisのホームページに掲載されています。140年以上も前の手紙(の写し、少なくとも内容が)が残されているということは驚くべきことです。
この様な歴史的資料は、当時、書かれた本物なのかと言った真偽の判定、見極めも重要になります。
この手紙は、リーバイストラウス社、または、リーバイストラウスの親戚関係者から公開されているものではありません。手紙はリーバイストラウスが受け取っているので、オリジナルはリーバイ・ストラウス社側が所有している方が自然です。しかし、会社が保管していたとしても、1906に発生した地震と火災によって失われている可能性が高いです。
手紙はビジネス提案なので、送付したジェイコブデービスが、写しを取っていて保管していた可能性は十分に考えられます。
書かれている内容自体も、当事者による具体的な考え、提案が含まれていること、文章も英語では異なるスペルが使われているところなども、本物である可能性を示しています。
本物である可能性は高いと思います。
手紙の内容の注目点
ジェイコブデービスは、1850年代から1860年代の間、米西海岸とカナダを転々と移動しています。職も頻繁に変わっています。経済的に成功していた感じはありません。一方、リーバイストラウスは、1953年にサンフランシスコに上陸後、すぐに事業を開始し、会社の業績も順調で成功していました。
リーバイ・ストラウスはジェイコブ・デービスに生地を供給・卸売りしていました。デービスの手紙の冒頭で、350ドルのチェックを同封していることが述べられています。
1872年の350ドルは、消費者価格指数などを基にして計算すると、2016年の6,585ドルに相当します。(後で書きますが、この計算値は低めだと思います。)
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- ##hand-o-right## 備考
- 上記計算値は消費者物価指数の推移を元にして算出しています。
他の文書などを見ると、この350ドルは支払いが遅れていた分とのことですが、手紙の冒頭の文面では強気な(必要以上に多いお金を支払う的な)感じで書かれています。
ジェイコブデービスは、ダック生地を使用したリベット付きオーバーオールを当時3ドルで販売していたと手紙に書かれています。1920年代のXX No.1 オーバーオール(501のこと)の価格は、1.95ドルです。
1908年の価格リストでは、9オンスのXX(501のこと)は、1ダースで10.5ドルです。デイビスはオーバーオールを、30年以上後のリーバイスのXXの3倍以上の価格で販売していたことになります。
既成の作業パンツと仕立て屋で仕立てたパンツでは価格は後者の方が上になると思いますが、1870年頃に2.5ドルから3ドルのパンツは、かなり高額(プレミアム)だったと思われます。
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- ##hand-o-right## 備考
- 上で紹介した計算値を当てはめると、3ドルは52.5ドルに相当します。計算値が低めの気がします。
デービスが手紙にチェックを同封した理由
なぜ、デービスはビジネス提案の手紙にチェックを同封したのかについて考えてみました。恐らく、支払いが滞っている状態で提案をしても、相手にされない可能性があると思ったのではないかと推測します。
提案を受け入れてもらう、交渉を有利にする(不利にならないようにする)意図をもっていて、ある程度まとまったお金を先に支払ったのではないかと思います。
リベットの特許出願に必要な費用は68ドルと書かれています。当時の68ドルは、上で引用した消費者物価指数の推移を元に計算すると現在の1280ドルに相当します。実際は、もう少し高い金額に該当すると思います。
デービスの手紙では、リーバイ・ストラウスに68ドルを支払ってもらう代わりに、特許を使用した衣料品の販売する権利の半分を与えるという提案をしています。
この手紙を送る一年以上前から、デービスはリベット付きパンツを販売していて、売れまくっていたそうですが、それほど儲かっていたとは思えません。儲かっていれば、68ドルは自分で工面できたはずです。自分だけで特許を取得した後、リーバイストラウスに別の形で事業協力の提案をすることもできたと思います。
デービスの手紙を読んで、彼はビジネス的なことはあまり得意ではないのだろうなとの印象を受けました。仮にデービスが68ドル工面して、デービスだけで特許申請しても、申請書類の内容、書き方によっては、認可されなかった可能性が考えられます。
また別の考え方としては、デービスが手紙に同封したチェックの金額を350ドルから特許申請費用を差し引いた分を支払うなどのアイディアもあります。
無理すれば、特許申請費用68ドルはなんとか工面できた可能性もあったのではないかと考えます。実際のところはどうだったのかは分かりませんが、興味深いところです。結果的には、デービスはストラウスに手紙を書いたことは大正解となりました。
リーバイストラウスは、デービスの手紙を受け取って、デーリベット付きパンツのビジネス的重要性、可能性を直ちに理解し、デービスの提案(特許申請費用を負担すること)を承諾しました。
さらに、リーバイストラウスは、デービスにサンフランシスコに引っ越してくることを提案し、特許が認可された1873年5月20日の1ヶ月少し前の4月26日にジェイコブ・デービスと彼の家族はサンフランシスコに引っ越しています。そして、デービスはリーバイ・ストラウス社の最初の工場長となりました。
リーバイ・ストラウス社が、特許取得後直ちに本格的なリベット付きオーバーオールの製造を計画していたことを示しています。デービスから手紙を受け取ってからの対応は、リーバイストラウスが、優れた商才を持ち、優秀な経営者であったことを物語っていると思います。
このジェイコブ・デービスの手紙の中にもう一つ重要なことが書かれています。それは、特許は17年有効と書かれているところがあることです。リーバイスの書類から、リベット取り付けの特許の有効期限が切れたのは、1890年頃であると記載があります。
1890年は特許取得1873年から17年後です。特許申請に際して、有効期間んも申請していた、または有効期間が17年であることがあらかじめ分かっていたことを示しています。また、この17年間有効であるとのデービスの話は、特許が1890年に失効したことを示す材料ともなります。
この様な当事者で無ければ知り得ない情報、特許の有効期限が含まれていることも手紙の内容の信憑性を高める材料でもあります。
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