501の歴史の第三部です。
1936年: レッドタブがオーバーオールの右バックポケットに初めて取り付けられました。"LEVI'S"の名前が、タブの片側のみ大文字で白のステッチで刺繍されました。
タブは、リーバイスのオーバーオールと市場において、ダークデニムとアーキュエットステッチを使用している多くの競合と差別化するために考案、実施されました。
我々は、当時アーキュエットをトレードマークとして登録していませんでした。そのため、他の会社は我々と全く同じようなイミテーションをしていました。
関連記事: 赤タブ誕生の背景、トレードマークとして登録した内容などを紹介しています。
[リーバイス赤タブ誕生80周年 ##link##]
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アーキュエットステッチは、リーバイスの501の原型である最初のオーバーオールから付けられていたにも関わらず、リーバイスは50年以上もの間、商標登録していませんでした。
Leeのジーンズも当時、アーキュエットステッチが入れられていました。
下の写真は、モンゴメリー・ワードの1937年のカタログのオーバーオールです。バックポケットには取り付け強化のリベットとアーキュエットステッチが入っています。
他のブランドもアーキュエットを備えているため、リーバイスのオーバーオールを他の競合と外観上の識別可能な特徴として赤タブは考案されました。
アーキュエットが既に商標登録されていれば、赤タブは生まれることがなかった可能性が高いです。赤タブの考案は、当時のリーバイスにとって、苦肉の策とも言えますが、結果として素晴らしい発明となりました。
ご存知の通り、赤タブは、リーバイスの製品を象徴する特徴となっています。
1937年: オーバーオールのリベットを、上からポケットでかぶせるように縫い付けられるようになりました。
これは、顧客がリベットが家具やサドルを傷つけると訴えたことへの対応です。
サスペンダーボタンが、オーバーオールから外されました。(廃止となりました)サスペンダーを使って着用したい顧客には、スナップボタンが提供されました。
競合のLeeは、バックポケットの取り付け強化にバータックを使用しており、鞍や家具を傷つけないことを強調していました。
リーバイスにとって、オーバーオールのポケットのリベットは原点です。リベットを止めて、競合のLeeに追随するような形で、バータックにすることはできなかったと思います。
そこで誕生したのが、リベットの上からポケットの生地をかぶせて縫う手法です。表側からは見えませんが、それまでと同様にポケットの上部両端にリベットが取り付けられています。
ヴィンテージ市場では、この外側からはリベットが見えない仕様を”隠しリベット”と呼んでいます。1960年代の後半、501XXの最終期に隠しリベットは廃止となり、バータックによる取り付け強化に変更になります。
隠しリベットは、通称501XXの特徴的ディテールの一つです。
関連記事:
[隠しリベットとは? / ロングホーンインポート ##external-link##]
World War II (第二次世界大戦): The War Production Boardによる原材料保存のためのルールに準拠するため、オーバーオールに変更が加えられました。
クロッチリベット、ウォッチポケットリベット、バックシンチは、生地とメタルの使用を削減するため省かれました。アーキュエットステッチは、装飾のみで衣料品としての使用に必須ではないため、取り除かれました。
リーバイス製パンツであることを、デザインとして示すため、縫製工は各ペアにアーキュエットステッチをペイントで描きました。
1943年: アーキュエットステッチが、トレードマークとして登録されました。
そして、誕生したのがレイジーSです。
レイジーSは、テキサスロングホーンの角の形をイメージしたデザインです。
アーキュエットがリーバイスのトレードマークとなったことが、Leeのジーンズを象徴するステッチデザイン、”レイジーS”が生まれるきっかけとなっていることが、面白いところです。
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[Leeの歴史:第二次世界大戦から戦後 ##link##]
c1947 (1947年頃): 戦後バージョンの501ジーンズが、生産開始、出荷されるようになりました。
シンチは廃止、ウォッチポケットのリベットは復活。アーキュエットはダブルニードル(二本針)ミシンによって縫われるようになりました。
ダブルニードルによって描かれるため、二つのステッチラインが交差する(切り替わる)ところに”ダイヤモンド型”ができるようになりました。
この変更によって、アーキュエットはそれまでのシングルニードル(一本針)による描き方では、オペレーターのスキルによってユニークな外観をしていたのに対して、統一感のある外観になります。
この戦後の最初のバージョンが通称47モデル、または片面タブの501XXと呼ばれる501です。c1947とc(circa: だいたい・およその意)が付いているので、年ははっきりとしていないことを示しています。
以前、第二次世界大戦後半の通販カタログを見て、非常にたくさんのものが載せられていて驚いたことがあります。戦時中にもかかわらず、贅沢品、家の装飾品、趣味の品もたくさん掲載されています。あまりの豪華さ、優雅さに愕然とするものがありました。
日本は、米軍沖縄上陸、広島と長崎には原爆投下、東京大空襲によって、毎日のように爆撃を受け東京は焼け野原と化している時であることを考えた時、大戦中のアメリカのデパートのカタログの豪華さ、あまりの状況の違いに衝撃を受けました。
大戦の末期は、アメリカの会社はいつ戦争が終わるのか見守っている状況だったと思います。そして、戦後に備えた準備、計画を練っていたと思います。
そう考えると、終戦後、新仕様のモデルが登場するまで、2年もなぜかかったのだろうか?との疑問があります。
また、ディテールから戦後直後のモデルと推測される501があります。大戦モデルと同じリベット(通称大戦リベット)を使用していたり、その他の古いディテールなどを備えています。大戦リベットなどを備えている戦後最初期と推測されるディテールを備える501を、ヴィンテージ市場では46モデルと呼ぶ場合もあります。
第二次世界大戦後の501は、シンチバックを備えずアーキュエットステッチもダブルニードルだったように思います。つまり、第2次世界大戦が終了してから二年後の1947年にモデルチェンジが行われたというよりは、終戦後は、大戦モデルにリベットとアーキュエットステッチ復活して販売され、1947年に細かい仕様が変更されたたと推測しています。
関連記事:
[初期(推定戦後直後)501XX 片面タブのディテール ##link##]
下の写真は革パッチ501XXの右バックポケット部です。
シングルニードルの時よりは、ダブルニードルになって、アーキュエットは確かに統一感ができるようになったとも言えますが、それでも形は個体によってかなり差があります。
下は革パッチの501XX(上は片面タブ、下は両面タブ)です。アーキュエットの形は結構、異なっています。
戦後の501でも、手作り感、個体差は非常に強く感じられます。
以下の記事に続きます。(2017年5月23日以降、順次、501の歴史の記事を見直し、更新する予定です。)
[501の歴史 4: 1950年代 - オーバーオールからジーンズへ呼称の変化 ##link##]
1936年: レッドタブがオーバーオールの右バックポケットに初めて取り付けられました。"LEVI'S"の名前が、タブの片側のみ大文字で白のステッチで刺繍されました。
タブは、リーバイスのオーバーオールと市場において、ダークデニムとアーキュエットステッチを使用している多くの競合と差別化するために考案、実施されました。
我々は、当時アーキュエットをトレードマークとして登録していませんでした。そのため、他の会社は我々と全く同じようなイミテーションをしていました。
赤タブの誕生
- [message]
- ##hand-o-right## 備考
- 最初に登場した赤タブは、表側のみLEVI'Sの刺繍が入り、裏はブランクです。片面しか文字が入っていないため、現在のヴィンテージ市場で、通称片面タブと呼ばれています。
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506XXの片面タブ |
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506xxのタブの裏側はブランクです |
[リーバイス赤タブ誕生80周年 ##link##]
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外観上の識別子として誕生した赤タブ
アーキュエットステッチは、リーバイスの501の原型である最初のオーバーオールから付けられていたにも関わらず、リーバイスは50年以上もの間、商標登録していませんでした。
Leeのジーンズも当時、アーキュエットステッチが入れられていました。
下の写真は、モンゴメリー・ワードの1937年のカタログのオーバーオールです。バックポケットには取り付け強化のリベットとアーキュエットステッチが入っています。
アーキュエットが既に商標登録されていれば、赤タブは生まれることがなかった可能性が高いです。赤タブの考案は、当時のリーバイスにとって、苦肉の策とも言えますが、結果として素晴らしい発明となりました。
ご存知の通り、赤タブは、リーバイスの製品を象徴する特徴となっています。
1937年: オーバーオールのリベットを、上からポケットでかぶせるように縫い付けられるようになりました。
これは、顧客がリベットが家具やサドルを傷つけると訴えたことへの対応です。
サスペンダーボタンが、オーバーオールから外されました。(廃止となりました)サスペンダーを使って着用したい顧客には、スナップボタンが提供されました。
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- ##hand-o-right## 備考
- オーバーオール誕生時から、バックポケットの上部両端に、リベットが取り付けられていました。「隠しリベット」に対して「むき出しリベット」と呼ばれたりしています。
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推定1880年代のリーバイス・ネバダジーンズ |
リーバイスにとって、オーバーオールのポケットのリベットは原点です。リベットを止めて、競合のLeeに追随するような形で、バータックにすることはできなかったと思います。
そこで誕生したのが、リベットの上からポケットの生地をかぶせて縫う手法です。表側からは見えませんが、それまでと同様にポケットの上部両端にリベットが取り付けられています。
ヴィンテージ市場では、この外側からはリベットが見えない仕様を”隠しリベット”と呼んでいます。1960年代の後半、501XXの最終期に隠しリベットは廃止となり、バータックによる取り付け強化に変更になります。
隠しリベットは、通称501XXの特徴的ディテールの一つです。
関連記事:
[隠しリベットとは? / ロングホーンインポート ##external-link##]
World War II (第二次世界大戦): The War Production Boardによる原材料保存のためのルールに準拠するため、オーバーオールに変更が加えられました。
クロッチリベット、ウォッチポケットリベット、バックシンチは、生地とメタルの使用を削減するため省かれました。アーキュエットステッチは、装飾のみで衣料品としての使用に必須ではないため、取り除かれました。
リーバイス製パンツであることを、デザインとして示すため、縫製工は各ペアにアーキュエットステッチをペイントで描きました。
- [message]
- ##hand-o-right## 備考
- 第二次世界大戦中に資源を保存するため省かれた仕様の501は、ヴィンテージ市場において、大戦モデルと呼ばれています。端的に言うと501の簡素版なのですが、通常とは異なるボタン(汎用品の月桂樹ボタン等)やポケットに使用する布(内袋)、スレーキが柄や色物の布が使われている品もあり、希少性、レアであることなどから、ヴィンテージ市場において、大戦モデルは高い人気があります。
1943年: アーキュエットステッチが、トレードマークとして登録されました。
- [message]
- ##hand-o-right## 備考
- アーキュエットステッチが、リーバイスの商標登録となったため、Leeはアーキュエットに代わるバックポケットのステッチデザインを考案する必要に迫られました。
そして、誕生したのがレイジーSです。
レイジーSは、テキサスロングホーンの角の形をイメージしたデザインです。
アーキュエットがリーバイスのトレードマークとなったことが、Leeのジーンズを象徴するステッチデザイン、”レイジーS”が生まれるきっかけとなっていることが、面白いところです。
関連記事:
[Leeの歴史:第二次世界大戦から戦後 ##link##]
c1947 (1947年頃): 戦後バージョンの501ジーンズが、生産開始、出荷されるようになりました。
シンチは廃止、ウォッチポケットのリベットは復活。アーキュエットはダブルニードル(二本針)ミシンによって縫われるようになりました。
ダブルニードルによって描かれるため、二つのステッチラインが交差する(切り替わる)ところに”ダイヤモンド型”ができるようになりました。
この変更によって、アーキュエットはそれまでのシングルニードル(一本針)による描き方では、オペレーターのスキルによってユニークな外観をしていたのに対して、統一感のある外観になります。
戦後の501誕生についての注釈
この戦後の最初のバージョンが通称47モデル、または片面タブの501XXと呼ばれる501です。c1947とc(circa: だいたい・およその意)が付いているので、年ははっきりとしていないことを示しています。
以前、第二次世界大戦後半の通販カタログを見て、非常にたくさんのものが載せられていて驚いたことがあります。戦時中にもかかわらず、贅沢品、家の装飾品、趣味の品もたくさん掲載されています。あまりの豪華さ、優雅さに愕然とするものがありました。
日本は、米軍沖縄上陸、広島と長崎には原爆投下、東京大空襲によって、毎日のように爆撃を受け東京は焼け野原と化している時であることを考えた時、大戦中のアメリカのデパートのカタログの豪華さ、あまりの状況の違いに衝撃を受けました。
大戦の末期は、アメリカの会社はいつ戦争が終わるのか見守っている状況だったと思います。そして、戦後に備えた準備、計画を練っていたと思います。
そう考えると、終戦後、新仕様のモデルが登場するまで、2年もなぜかかったのだろうか?との疑問があります。
また、ディテールから戦後直後のモデルと推測される501があります。大戦モデルと同じリベット(通称大戦リベット)を使用していたり、その他の古いディテールなどを備えています。大戦リベットなどを備えている戦後最初期と推測されるディテールを備える501を、ヴィンテージ市場では46モデルと呼ぶ場合もあります。
第二次世界大戦後の501は、シンチバックを備えずアーキュエットステッチもダブルニードルだったように思います。つまり、第2次世界大戦が終了してから二年後の1947年にモデルチェンジが行われたというよりは、終戦後は、大戦モデルにリベットとアーキュエットステッチ復活して販売され、1947年に細かい仕様が変更されたたと推測しています。
関連記事:
[初期(推定戦後直後)501XX 片面タブのディテール ##link##]
古い年代の501はアーキュエットの形状も様々
下の写真は革パッチ501XXの右バックポケット部です。
シングルニードルの時よりは、ダブルニードルになって、アーキュエットは確かに統一感ができるようになったとも言えますが、それでも形は個体によってかなり差があります。
下は革パッチの501XX(上は片面タブ、下は両面タブ)です。アーキュエットの形は結構、異なっています。
戦後の501でも、手作り感、個体差は非常に強く感じられます。
以下の記事に続きます。(2017年5月23日以降、順次、501の歴史の記事を見直し、更新する予定です。)
[501の歴史 4: 1950年代 - オーバーオールからジーンズへ呼称の変化 ##link##]
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