リーバイス本社のホームページには、様々な資料・ドキュメントが掲載されています。
今回は、その中から"History of The Levi's 501 jeans"の各ページの内容を訳し、画像や説明を加えて紹介します。
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以下はリーバイ・ストラウス社の上記資料の訳に画像を加えたものです。
1853年: リーバイストラウスは、サンフランシスコに到着し、衣類、ブランケット、ハンカチーフ等の雑貨をアメリカ西部の小売店に卸売する事業を始めます。
1872年: ネバダ州リノの仕立て屋のジェイコブ・デービスは、男性パンツのポケットの端にリベットを使用し丈夫にすることを考案したと手紙を書いて送ります。デービスは、共同でパテントを申請し取得することを提案し、リーバイ・ストラウスは同意します。
1873年: 5月20日、リーバイ・ストラウスとジェイコブ・デービスは、米国の特許局からパンツにリベットを取り付ける特許の認可を得ます。特許の番号は139,121です。そして、そしてこれがブルージンズの発明となります。
パテント139,121のイラストです。このイラストと簡単な説明書きで特許を取得しています。シンプルですが、世紀の大発明とも言えます。
”ウエストオーバーオール”と呼ばれるパンツは、アーキュエットステッチが入れられた一つのバックポケット、ウォッチポケット、シンチ、サスペンダーボタン、そしてクロッチにリベットを備えていました。
アーキュエットステッチデザインがいつ考案されたかは不明です。羽を広げた鳥を象徴していると言う話は俗説です。1906年(下記をご参照)に我々の記録資料は失われたため、なぜ(アーキュエット)ステッチングが入れられたのか分かりません。
男性のワークウェアにポケットにステッチを入れるのは伝統・習慣だったのかもしれません。しかし、これまでに行ってきた様々な調査でもこの事実は見つかっていません。
シンチとサスペンダーボタンは、メンズパンツのスタンダードでした。尚、我々はウエストオーバーオールのカット、あるいはフィットを発明したのではありません。我々がしたことは、伝統的なメンズのワークパンツにリベットを取り付けて、今日、ブルージーンズと呼ぶ、新しいワークウェアのカテゴリーを創造したことです。
このパンツはニューハンプシャー州マンチェスターにあるアモスケイグ・ミルの9オンスのXXブルーデニムで造られていました。
パンツ(ウエストオーバーオール)はサンフランシスコで縫製が行なわれたものです。恐らく、工場での生産と家での縫製の組み合わせでした。
1906年の地震と火災で、最初の工場がいつ稼働したのか、我々は未だに分かっていません。
1870年代は工場を間借りしていて、1880年に自社の工場を立ち上げた可能性もあります。
[ジーンズ誕生の元となるリベット特許を発明したJacob Davis ##link##]
1886年: ウエストオーバーオールに、ツーホースブランドのレザーパッチが、初めて取り付けられました。
パッチの目的は、パンツの強度を示すことと特許のリベットを付けた衣類の元祖であることを強調するためでした。
(ツーホースブランドを考案し、パッチに取付けた理由は)1890年頃に特許の有効期限が切れ、一般に公開されると分かっていたため、オリジナルであることと堅牢さのメッセージを描画して強調するべきと判断したためです。
この様なパッチを男性のワークウェアに当時取り付けるのが伝統としてあったことも考えられます。しかし、このことは調査するのが難しいです。
c1890 (1890年頃): リベットの特許の期限が切れ、一般に公開されました。そのことにより、リーバイスは、リベットを取り付けた衣類の唯一のメーカーではなくなりました。
ロット番号が製品に初めて、割り当てられました。501®は、有名な銅リベットの付いたウエストオーバーオールに付与されました。
この番号が何故選ばれたのかは分かっていません。我々は、同様に廉価版のパンツ201ジーンズや3桁の数字のついた他の製品も製造していました。
1906年の記録の消失によって、多くのこれらの様な変更の理由を不明となってしまっています。
c1901 (1890年頃): 単に”オーバーオール”と呼ばれる様になったそのパンツは、二つのバックポケットを持つ様になりました。
(呼び名のウエストオーバーオールが単にオーバーオールになり、左にもバックポケットが追加されました。)
顧客のリクエストか当時のメンズファッションの変化のどちらかで、ポケットを追加した可能性があります。
時代とともにポケットの数も追加されてきています。
そう考えると、19世紀のパンツは、右バックポケット一つというのは納得できます。
1902年: リーバイストラウスが、73才で亡くなります。彼の甥達が事業を受け継ぎます。彼らの子孫が、今日も会社を経営しています。
1920年代、Stern兄弟は年を取ってきたので、当時社長だったSimund Sternは娘婿のWalter A. Haasに経営を任せました。Haasと彼の義理の兄弟のDaniel Koshlandは、会社の経営を引き継ぎ現在の様な国際的な企業に育てました。
Walter Haas, Jr. (息子)は、1958年に社長となり、1970年に弟のPeterが社長を引き継ぎます。そして、1984年、Walter Haas, Jr.の息子のロバートがプレジデント&CEOに就きます。この人です。
Bob Haasとなっていますが、BobはRobert(ロバート)のニックネームです。ロバート・ハスはリーバイスストラウスのGreat-Great-Grand Nephewです。
ロバートはリーバイス社の会長でしたが、リタイアしたようです。現在、リーバイス一族は経営の一線から離れています。
戦後から1970年代まで、リーバイ・ストラウス社は躍進を続け、国際的大企業に成長しました。業績も順調でした。しかし、80年代に入ってからリーバイ・ストラウス社の売上は低迷し始めます。戦後30年以上順調だったリーバイ・ストラウス社にとって初めて大きな壁に直面しました。
その様な会社の今後を大きく左右する極めて重要な時に、Bob HaasはCEOに就任しました。Bob HaasがCEO就任後に行った改革、取り組みについて以下の記事で紹介しています。
関連記事:
[1980年代はリーバイスにとって大きな変革期だった ##link##]
次の記事(以下の記事)に続きます。
[501の歴史:サンフランシスコ大地震からコーンミルズ赤耳デニム開発まで ##link##]
今回は、その中から"History of The Levi's 501 jeans"の各ページの内容を訳し、画像や説明を加えて紹介します。
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以下はリーバイ・ストラウス社の上記資料の訳に画像を加えたものです。
リーバイス 501の歴史 / History o The Levi's 501 jeans
1853年: リーバイストラウスは、サンフランシスコに到着し、衣類、ブランケット、ハンカチーフ等の雑貨をアメリカ西部の小売店に卸売する事業を始めます。
1872年: ネバダ州リノの仕立て屋のジェイコブ・デービスは、男性パンツのポケットの端にリベットを使用し丈夫にすることを考案したと手紙を書いて送ります。デービスは、共同でパテントを申請し取得することを提案し、リーバイ・ストラウスは同意します。
1873年: 5月20日、リーバイ・ストラウスとジェイコブ・デービスは、米国の特許局からパンツにリベットを取り付ける特許の認可を得ます。特許の番号は139,121です。そして、そしてこれがブルージンズの発明となります。
パテント139,121のイラストです。このイラストと簡単な説明書きで特許を取得しています。シンプルですが、世紀の大発明とも言えます。
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リベット取付け特許 イラスト |
”ウエストオーバーオール”と呼ばれるパンツは、アーキュエットステッチが入れられた一つのバックポケット、ウォッチポケット、シンチ、サスペンダーボタン、そしてクロッチにリベットを備えていました。
- [message]
- ##hand-o-right## 備考
- ネバダ等、世界最古のジーンズにもアーキュエットはシッカリ入っています。
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Arcuate Stitching on Levi's Nevada Jeans |
男性のワークウェアにポケットにステッチを入れるのは伝統・習慣だったのかもしれません。しかし、これまでに行ってきた様々な調査でもこの事実は見つかっていません。
シンチとサスペンダーボタンは、メンズパンツのスタンダードでした。尚、我々はウエストオーバーオールのカット、あるいはフィットを発明したのではありません。我々がしたことは、伝統的なメンズのワークパンツにリベットを取り付けて、今日、ブルージーンズと呼ぶ、新しいワークウェアのカテゴリーを創造したことです。
このパンツはニューハンプシャー州マンチェスターにあるアモスケイグ・ミルの9オンスのXXブルーデニムで造られていました。
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アモスケーグ・ミルズ、ウィーブルーム、Photo: Wikipedia |
1906年の地震と火災で、最初の工場がいつ稼働したのか、我々は未だに分かっていません。
1870年代は工場を間借りしていて、1880年に自社の工場を立ち上げた可能性もあります。
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1880年代のリーバイス・オーバーオール工場, Photo: Jewish Museum of the American West |
- [message]
- ##hand-o-right## 備考
- リベットの特許を考案したジェイコブデイビスは、サンフランシスコに引っ越し、リーバイ・ストラウス社の最初の工場長に就任しました。
[ジーンズ誕生の元となるリベット特許を発明したJacob Davis ##link##]
1886年: ウエストオーバーオールに、ツーホースブランドのレザーパッチが、初めて取り付けられました。
パッチの目的は、パンツの強度を示すことと特許のリベットを付けた衣類の元祖であることを強調するためでした。
(ツーホースブランドを考案し、パッチに取付けた理由は)1890年頃に特許の有効期限が切れ、一般に公開されると分かっていたため、オリジナルであることと堅牢さのメッセージを描画して強調するべきと判断したためです。
この様なパッチを男性のワークウェアに当時取り付けるのが伝統としてあったことも考えられます。しかし、このことは調査するのが難しいです。
c1890 (1890年頃): リベットの特許の期限が切れ、一般に公開されました。そのことにより、リーバイスは、リベットを取り付けた衣類の唯一のメーカーではなくなりました。
ロット番号が製品に初めて、割り当てられました。501®は、有名な銅リベットの付いたウエストオーバーオールに付与されました。
この番号が何故選ばれたのかは分かっていません。我々は、同様に廉価版のパンツ201ジーンズや3桁の数字のついた他の製品も製造していました。
1906年の記録の消失によって、多くのこれらの様な変更の理由を不明となってしまっています。
c1901 (1890年頃): 単に”オーバーオール”と呼ばれる様になったそのパンツは、二つのバックポケットを持つ様になりました。
(呼び名のウエストオーバーオールが単にオーバーオールになり、左にもバックポケットが追加されました。)
顧客のリクエストか当時のメンズファッションの変化のどちらかで、ポケットを追加した可能性があります。
- [message]
- ##hand-o-right## 備考
- 506は左胸1ポケットの仕様です。考えてみると、ジャケットの胸ポケットは左、ジーンズのバックポケットは右を使うことが多いと思います。
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リーバイス ファースト 506XX |
そう考えると、19世紀のパンツは、右バックポケット一つというのは納得できます。
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リーバイス ネバダジーンズ |
リーバイ・ストラウスの甥達と彼らの子孫
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- ##hand-o-right## 備考
- リーバイスストラウスは生涯独身でした。彼にはJacob, Sigmund, Louis, Abrahamの4人の甥、Sterm兄弟がいました。2010年代、現在のリーバイ・ストラウス社の経営に、創業家の一族は直接携わっていません。
1920年代、Stern兄弟は年を取ってきたので、当時社長だったSimund Sternは娘婿のWalter A. Haasに経営を任せました。Haasと彼の義理の兄弟のDaniel Koshlandは、会社の経営を引き継ぎ現在の様な国際的な企業に育てました。
Walter Haas, Jr. (息子)は、1958年に社長となり、1970年に弟のPeterが社長を引き継ぎます。そして、1984年、Walter Haas, Jr.の息子のロバートがプレジデント&CEOに就きます。この人です。
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Bob Haas, Levi Strauss, Great-Great-Grand Nephew |
ロバートはリーバイス社の会長でしたが、リタイアしたようです。現在、リーバイス一族は経営の一線から離れています。
Bob Haas(ロバート・ハス)CEO就任後
戦後から1970年代まで、リーバイ・ストラウス社は躍進を続け、国際的大企業に成長しました。業績も順調でした。しかし、80年代に入ってからリーバイ・ストラウス社の売上は低迷し始めます。戦後30年以上順調だったリーバイ・ストラウス社にとって初めて大きな壁に直面しました。
その様な会社の今後を大きく左右する極めて重要な時に、Bob HaasはCEOに就任しました。Bob HaasがCEO就任後に行った改革、取り組みについて以下の記事で紹介しています。
関連記事:
[1980年代はリーバイスにとって大きな変革期だった ##link##]
次の記事(以下の記事)に続きます。
[501の歴史:サンフランシスコ大地震からコーンミルズ赤耳デニム開発まで ##link##]
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