80年代のリーバイスについて、様々な観点からの記事を投稿しました。(関連記事は、本記事の最後にリンクで紹介します。)
記事を書く上で調べたり、個別の事例をまとめたりしているうちに、80年代はリーバイスにとって大きな変革期であったのだという印象が自分の中で強まりました。
本記事では、既に紹介した事例を含めて、80年代のリーバイスについてまとめてみます。
戦後から1970年代まで、リーバイスは売上を急速に伸ばし大成長しました。アメリカ西海岸の労働者向け衣料品だったジーンズは、全米の若者が好んで着用されるようになり、さらには年代・世代を超えたユーザー層に支持されるようになりました。
西海岸の中小企業だったリーバイスは、全米に販売網を広げ、さらに海外進出も順調に進み国際的大企業に成長しました。戦後から30年間以上の長い期間に渡って、業績が順調だったことは、ある意味、異例とも言えることだと思います。
しかし、1980年から売上は低迷し、1984年までの4年間、売上と利益は下落しました。(当時業績については、New York Timeの記事を参照しました。)リーバイスにとっては、戦後初めてのスランプです。経営陣、社員にとっても、初めて経験する壁だったと思います。
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1980年代に入ってからの業績の低迷、初めて直面する壁に対して、経営陣を含め、大きな危機感を強めていたと思います。
「今までのやり方が上手くいかない。」
リーバイスにとっては、初めてのことだったと思います。
「状況を打破するためには、今まで通りではダメだ」
というような空気に包まれていたと推測しています。そして、1984年、Bob Haas (Robert D. Haas)が新CEOに就任します。
Bob Haasはリーバイスのドキュメンタリーフィルムにも登場しています。
[##check## リーバイスの歴史関連のビデオの紹介]
Bob Haasのお祖父さん、Walter A. Haas, Sr.は、1928年から1955年までリーバイストラウス社の社長を務めました。Walter A. Haas, Sr.の奥さんは、創業者リーバイ・ストラウスの甥Sigmund Sternの娘Eliseです。
Bobのお父さん、Walter A. Haas Jr. は、1958年から1976年までリーバイストラウス社のpresident and CEO、1970年から1981年までChairmanを務めました。
Walter A. Haas, Sr.とJr. (親子)は、リーバイ・ストラウス社を国際的大企業に育てた優秀な経営者でした。Bob Haasは、父、祖父と同じく、カリフォルニア州立大バークレー校を卒業、ハーバードのMBAを取得しています。
1968年から1969年は、White House Fellowを務め、その後はコンサルティング会社McKinseyで働きました。1973年、リーバイストラウス社に就職、様々な職に就いた後、1984年にプレジデント兼CEOに就任しました。
Bob Haasは、学歴、職歴、家系、全ての点でサラブレッドと言えると思います。しかし、家系、学歴、経歴が凄いからと言って、優秀な経営者とは限りません。
以下は、新しくCEOに就任したBob Haasの元で行われたリーバイストラウス社の主な取り組みです。
リーバイ・ストラウス社は、1984年ロス五輪のスポンサーとなりました。そして、サンフランシスコの有名な広告家Michael Koelkerに、新たなマーケティング・コマーシャルの制作を依頼します。Koelkerは、"501 Blues"キャンペーンプログラムを考案し、501 Bluesのコマーシャルを制作させます。
ロス五輪の中継で、"501 Blues"第一弾のコマーシャルが放送されました。"501 Blues"は、多くの人の心に強い印象を残しました。
[##check## 伝説となったロス五輪CM ”501 Blues"]
1985年、公開発行していたリーバイ・ストラウス社の株式を買い戻し、プライベート(私有企業)に会社を戻します。
このLevi'sのLBO(Leveraged buyout)は、当時、米国史上最大の規模でした。
1984年から業績は急回復し、その後12年間継続して、順調に業績を伸ばします。これらの実績などから、Bob HaasがCEO就任後、取り組んだ改革は大成功したと言えます。
Bobは、祖父、父と同様に素晴らしい経営者だったことを示しています。
(業績だけが、評価の全てではありません。それ以外のBob Haasについてのことは、別途、将来記事を投稿する予定です。)
80年代リーバイス501に様々な仕様変更が行われました。
[##check## 多くの細かい501仕様変更が行われた1960年代と1980年代]
現在のユーザーサイドから見ると、赤耳(デニム)の生産中止は、非常に大きな出来事だと思います。しかし、赤耳が製造中止になった80年代前半当時、ユーザー側では、ほとんど認知されていなかったのではないかと思います。(日本では、比較的認知されていて、ショックを受けた人もいたかもしれません。)
1960年代の後半から、505を含む他のデニム製品では、広幅のデニムを使用していました。しかし、501では量産効率に不利な挟幅のセルビッジ(赤耳)付きデニムを使い続けていました。70年代、セルビッジデニムを使い続けてきたのは、リーバイスの501に対するこだわりの現れだと推測しています。セルビッジデニムの使用中止と脇割りの移行は、リーバイスの501に対するこだわりとも密接な関わりがあり、大きな変更であり決断だったと思います。
もう一つの80年代に行われた大きな変更は、それまでの”LEVI'S”メインのブランディングから501を全面に据えたブランディングへの移行です。
501 Bluesを初めとした80年代から90年代のTVコマーシャルでは、501の名前が全面的に使用されています。501の特徴を紹介する様々なコマーシャルも制作、放送されました。
1984年、"501 Blues"を開始した同年に新品の501に取り付けられている伝統のあるフラッシャーのタイトルも、Levi'sから501に変更となりました。
この新しいブランディング戦略は、501の認知度を飛躍的に高め、大成功したと認識しています。1980年代の501の様々な仕様変更は、80年代がリーバイスの大きな変革期であったことを、直接的、間接的に物語っていると思います。
501の知名度が上昇し、リーバイスの業績も回復したのは、赤耳製造中止後だったことも興味深いです。
関連記事:
[1970年代以前は、501の名前はほとんど普及していなかった!? ##link##]
[年代の近い80年代中頃の501ディテール比較 ##link##]
記事を書く上で調べたり、個別の事例をまとめたりしているうちに、80年代はリーバイスにとって大きな変革期であったのだという印象が自分の中で強まりました。
本記事では、既に紹介した事例を含めて、80年代のリーバイスについてまとめてみます。
戦後初めてぶつかった壁:業績の低迷
戦後から1970年代まで、リーバイスは売上を急速に伸ばし大成長しました。アメリカ西海岸の労働者向け衣料品だったジーンズは、全米の若者が好んで着用されるようになり、さらには年代・世代を超えたユーザー層に支持されるようになりました。
西海岸の中小企業だったリーバイスは、全米に販売網を広げ、さらに海外進出も順調に進み国際的大企業に成長しました。戦後から30年間以上の長い期間に渡って、業績が順調だったことは、ある意味、異例とも言えることだと思います。
しかし、1980年から売上は低迷し、1984年までの4年間、売上と利益は下落しました。(当時業績については、New York Timeの記事を参照しました。)リーバイスにとっては、戦後初めてのスランプです。経営陣、社員にとっても、初めて経験する壁だったと思います。
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1984年新しいCEOにBob Haasが就任
1980年代に入ってからの業績の低迷、初めて直面する壁に対して、経営陣を含め、大きな危機感を強めていたと思います。
「今までのやり方が上手くいかない。」
リーバイスにとっては、初めてのことだったと思います。
「状況を打破するためには、今まで通りではダメだ」
というような空気に包まれていたと推測しています。そして、1984年、Bob Haas (Robert D. Haas)が新CEOに就任します。
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Bob Haas, Chairman of Levi Strauss & Co. |
[##check## リーバイスの歴史関連のビデオの紹介]
Bob Haasのお祖父さん、Walter A. Haas, Sr.は、1928年から1955年までリーバイストラウス社の社長を務めました。Walter A. Haas, Sr.の奥さんは、創業者リーバイ・ストラウスの甥Sigmund Sternの娘Eliseです。
Bobのお父さん、Walter A. Haas Jr. は、1958年から1976年までリーバイストラウス社のpresident and CEO、1970年から1981年までChairmanを務めました。
Walter A. Haas, Sr.とJr. (親子)は、リーバイ・ストラウス社を国際的大企業に育てた優秀な経営者でした。Bob Haasは、父、祖父と同じく、カリフォルニア州立大バークレー校を卒業、ハーバードのMBAを取得しています。
1968年から1969年は、White House Fellowを務め、その後はコンサルティング会社McKinseyで働きました。1973年、リーバイストラウス社に就職、様々な職に就いた後、1984年にプレジデント兼CEOに就任しました。
Bob Haasは、学歴、職歴、家系、全ての点でサラブレッドと言えると思います。しかし、家系、学歴、経歴が凄いからと言って、優秀な経営者とは限りません。
Bob Haasの元で行われた主な改革と取り組み
以下は、新しくCEOに就任したBob Haasの元で行われたリーバイストラウス社の主な取り組みです。
リーバイ・ストラウス社は、1984年ロス五輪のスポンサーとなりました。そして、サンフランシスコの有名な広告家Michael Koelkerに、新たなマーケティング・コマーシャルの制作を依頼します。Koelkerは、"501 Blues"キャンペーンプログラムを考案し、501 Bluesのコマーシャルを制作させます。
ロス五輪の中継で、"501 Blues"第一弾のコマーシャルが放送されました。"501 Blues"は、多くの人の心に強い印象を残しました。
[##check## 伝説となったロス五輪CM ”501 Blues"]
1985年、公開発行していたリーバイ・ストラウス社の株式を買い戻し、プライベート(私有企業)に会社を戻します。
このLevi'sのLBO(Leveraged buyout)は、当時、米国史上最大の規模でした。
1984年から業績は急回復し、その後12年間継続して、順調に業績を伸ばします。これらの実績などから、Bob HaasがCEO就任後、取り組んだ改革は大成功したと言えます。
Bobは、祖父、父と同様に素晴らしい経営者だったことを示しています。
(業績だけが、評価の全てではありません。それ以外のBob Haasについてのことは、別途、将来記事を投稿する予定です。)
80年代は501も大きな変革期だった
[##check## 多くの細かい501仕様変更が行われた1960年代と1980年代]
現在のユーザーサイドから見ると、赤耳(デニム)の生産中止は、非常に大きな出来事だと思います。しかし、赤耳が製造中止になった80年代前半当時、ユーザー側では、ほとんど認知されていなかったのではないかと思います。(日本では、比較的認知されていて、ショックを受けた人もいたかもしれません。)
- [message]
- ##hand-o-right## 備考
- 私は当時、501を穿いていましたが、赤耳というものの存在は全く知りませんでした。
1960年代の後半から、505を含む他のデニム製品では、広幅のデニムを使用していました。しかし、501では量産効率に不利な挟幅のセルビッジ(赤耳)付きデニムを使い続けていました。70年代、セルビッジデニムを使い続けてきたのは、リーバイスの501に対するこだわりの現れだと推測しています。セルビッジデニムの使用中止と脇割りの移行は、リーバイスの501に対するこだわりとも密接な関わりがあり、大きな変更であり決断だったと思います。
501のブランディング
もう一つの80年代に行われた大きな変更は、それまでの”LEVI'S”メインのブランディングから501を全面に据えたブランディングへの移行です。
501 Bluesを初めとした80年代から90年代のTVコマーシャルでは、501の名前が全面的に使用されています。501の特徴を紹介する様々なコマーシャルも制作、放送されました。
1984年、"501 Blues"を開始した同年に新品の501に取り付けられている伝統のあるフラッシャーのタイトルも、Levi'sから501に変更となりました。
この新しいブランディング戦略は、501の認知度を飛躍的に高め、大成功したと認識しています。1980年代の501の様々な仕様変更は、80年代がリーバイスの大きな変革期であったことを、直接的、間接的に物語っていると思います。
501の知名度が上昇し、リーバイスの業績も回復したのは、赤耳製造中止後だったことも興味深いです。
関連記事:
[1970年代以前は、501の名前はほとんど普及していなかった!? ##link##]
[年代の近い80年代中頃の501ディテール比較 ##link##]
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